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”晴耕雨読”ぶどう園

娘の思い出

天国へ旅立ってしまったかけがえのない娘の昔の写真です。あどけないところが余計に愛おしい。
いつも悲しく思い出す時、気丈な娘から「お父さん泣きなや!」と叱られる気がします。

2022年7月15日
<弔辞>

去る7月5日、私の最愛の娘ががんで他界してしまった。人生最盛期の43歳だった。親より早く逝くなんて、あまりにも儚く、私達遺族の人生で最悲嘆の日々だ。本人も何とも無念だったことだろう。本人の意思により家族葬とした。

私達遺族は喪失感と虚無感のどん底に陥っている。でも、子供の頃からあれだけ健康で活発で自分の意見をハッキリ言う娘がもうこの世にいないとは全く信じられないし、認めたくない。いつまでも続く醒めやらぬ悪夢の中にいるようだ。私達は神仏や先祖に娘を助けてくれるよう祈った。でも叶わなかった。私が代れるものなら代ってやりたかった。私の生母も33歳、私が8歳の時がんで逝っている。若くして逝くのが遺族にどんなに深い悲しみを残すか再び認識させられた。

娘はネパール人の夫と二人でマレーシアで働いていたが、がん発病後は共に大阪に帰国し、リモートで働きながら3年半に及ぶ闘病の末、最後は肺に転移して力尽きた。原発性でないからオプジーボも「効かない」とのことだった。抗がん剤や放射線治療での闘病を気丈に本当によく頑張った。

娘の能力の高さは私達親族の内々の小さな誇りであった。学校でも近所でも親の職場でさえも秀才の誉を頂き、その通りT大学H学部に入学・卒業した。良き夫にも恵まれて良かったな。私達夫婦の所に生れて来てくれてありがとう。望まれるような父親になれなくてゴメンな。娘は世界中を旅したこともあり、遺言の一つである「遺灰の一部はガンジス川に流して」は、夫が合法的に実現させることだろう。遺族で娘の思い出を話す時、笑い勇気づけられることも多い強気な娘だった。天国でゆっくり休んでや。私達もいつまでも悲嘆に暮れるのではなく、喪に服した後は、娘がそうであったように明るく楽しく強く生きて行こう。


  お母さんのhappy birthday 

  私ヤンチャやさかい 
 
  肩車してやー
 
  ローラースケートやりたいねん
 
  駒場祭のついでに本学へも
 
  結婚記念写真


 daughter & w1s



鳥取砂丘にて





















靴あべこべやで。









































七五三

年子のお兄ちゃんと



































練馬区大泉学園にて



1982年、私は大阪から東京へ転勤した(単身赴任)。当時息子は大阪の幼稚園年中、娘は年少で、母親がよく東京へ連れて来た。
























 娘から手紙








































御宿海岸

波打ち際で転んでビチャビチャになったので、私のセーターを着ている。



















 娘の置手紙








































 湘南の海へ行った時の置手紙







































お母さんはピアノの先生


















自転車に初めて乗れた日(5才)






















わ〜い、犬飼ってええって。





































小2の春

































仲良かったりケンカしたり。























トウモロコシを食べながら神社でお願い。





















兄妹で空手を習う。



























小4の夏
私の海外赴任のため転校先のニューオリンズにて。



ニューオリンズでの様子














友達を呼んでホームパーティー。





















小学校のハロウィーン仮装大会で優勝。





















NASA Houston Texas






































小5終了日、担任の先生と。
アメリカの夏休みは3ヵ月もある。




















ニューオリンズのクレオール料理人気レストランで入店待ち。





















ニューオリンズ郊外の家で日本のビデオを観てくつろぐ。
(日本の番組に餓えて同じものを何回も観る)



















家族でグランドキャニオン旅行
前夜雪が降って寒かった。
ラスベガスから6時間のドライブで着いたばかりなのに、
妻: 「早くラスベガスへ戻ってカジノしよう」
一同: ギャフン(笑)
子供はお金は賭けられないが遊べる。











 娘はニューオリンズ時代、母親とヨーロッパ旅行に行って異国文化に引かれ、
 大学生時代にはバックパッカーとして、社会人になっても休みがあれば海外旅行していた。
 特に発展途上国が好きだった。
 何ヵ国に行ったか、「多過ぎて数えるのを止めた」と言っていた。
 
 新型コロナ流行下の闘病中は、「回復したら北海道旅行しよう」と夫婦で話していたという。
 残念ながらそれは叶わなかった。





2022年6月、死の18日前のメッセージ

死期を悟って皆に感謝の気持ちを残した。三島由紀夫のフアンであった娘は『豊饒の海』から輪廻転生に興味があり、See You!、またね!と書いている。

短い一生であったが、自分の好きなことをして「我が道を行く」ことに徹していた。

See you again in next life!



















同年10月、3Dアニメーターの夫はカナダの会社に転職して去っていった。
(夫婦はこどもは作らなかった)
今まで本当にありがとう。新天地の新しい人生で新しい幸せを見つけてな。























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