”晴耕雨読”ぶどう園

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大動脈弁閉鎖不全症闘病記 

2014年3月末、突然診断された大動脈弁閉鎖不全症との闘病記です。
この病気は私のように自覚症状が出にくいので気づくのが遅れますが、進行するため早めの発見と経過観察が必要です。
こういった病気の患者側としてのオープンな記録は少ないし、私自身の備忘録のためもあり以下記します。
もし同病の人のご参考に少しでもなれば幸いです。


このサブページの最新更新日 : 2024年 4月 5日 
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[心臓図]



     
<目次>

  1.発端(健康診断)
       心雑音 

  2.精密検査と診断

  3.セカンドオピニオン探し

  4.セカンドオピニオン
       人工弁の種類と長短 

  5.あわや発作か?

  6.心臓カテーテル検査
       大動脈弁輪拡張症(大動脈基部拡張症)、 紛らわしい心臓病名、 
       デイビッド手術(自己弁温存大動脈基部置換術)、 障害1級(心機能障害) 

  7.手術前

  8.手術
       手術日(デイビッド手術)、 心嚢ドレナージ(心タンポナーデ)、 カルテ閲覧権 

  9.手術後
       閃輝暗点、 厚生年金障害者特例、 医療費、 (元)心臓病仲間の集まり 
       インタビュー、 本態性振戦、 新型コロナワクチン接種、 発作2        




1.発端(健康診断)

2014年1月21日
約2年振りに健康診断を受けた。(山梨市実施)
最後に内科診察で胸に聴診器を当てられた時、医師から「
心雑音がする」と言われた。
「以前言われたことはないか?」と問われたが、言われたことはなかった。
「精密検査を受けることを勧める」とも言われた。
”心雑音”・・・嫌な響きを持った言葉だが、後々トンデモナイ事になるとはこの時は想像もしなかった。


3月上旬知らされた健診の結果は、心雑音以外は全く問題が無い内容だった。
2年前以前の会社等の健診では、最低血圧が高いことを指摘されていたのだが、最近はそれもすっかり下がり、定年後の晴耕雨読(呑気)なブドウ栽培の賜物と思っていた。
血圧には注意していたので、血圧計を買って自分でも日頃測っていた。
純情な私は、看護婦さんが測ると高いが自分で測るとそれよりは低いレベルだったので、”白衣性高血圧”だと自己診断していた。

今回の健診では、所見に心雑音と書かれてしまったので、精密検査を受けて市の健康増進課へ報告することが求められた。
しかし面倒臭いしどうしようかと迷っていた。
ネットショップで聴診器を買ってその心雑音とやらを聞いてみた。
鼓動の他にザーザーと聞こえるが他に比べる心臓がなかった。



[血圧の推移(mmHg)]

最低 最高
かつての健診時血圧 90~105 135~150
かつての自己測定血圧 80~90 130~140
最近の自己測定血圧 50~70 110~140


2.精密検査と診断

2014年3月28日
暇だったので急遽思い立って精密検査を受けることにした。
検査機器の充実した近くの山梨厚生病院(以後Y病院)の循環器内科に行って、市の「精密検査依頼状」を見せて心雑音に関わる心臓超音波、心電図、レントゲン、血液検査等を受けた。

検査後結果は即日伝えられた。
医師:「あなたは大動脈弁閉鎖不全症で重症です」
初めて聞く卒倒するような病名だが、あまりにも予期しないことなので「エー!」と笑って説明を聞くしかなかった。
俺はどういうことになるんだろう?・・・



健康にはかなりの自信を持っていた私としたことがそんな診断を下されるとは、どうしたのだろう・・・
「何かの間違いでは?」と言ってみたが、心臓レントゲンと超音波による心臓計測、血液検査値が示しているのだという。
レントゲン写真で普通の心臓と比べると、確かに私のは拡大しているのがよく分かった。
小心者の私だが物理的には大きかったんだ。
逆だとよかったのに・・・
「スポーツ心臓では?」と言ってみても「大き過ぎ!」と返された。
左心室から大動脈への血流が大動脈弁閉鎖不全により逆流がかなりあるから心雑音がし、長年の逆流により心臓が過負担になり拡大するのだそうだ。
このことは血液検査のBNPという値が異常に高いことからも言える、とのこと。

「今日から激しい運動は控えるように」との先生のお言葉。
「今日夕方 ランニングしようと思っているのですが・・・」と言ったら、「とんでもない!」との返答。
いっきに病人扱いだ。
そういえば、最近ランニングしても始めから息切れがして早く走れず、プールでも続けて1km泳いでいたのが100m位で息切れがしてペースを相当落とさないと泳ぎ切れない状態が続いていた。
練習不足だし歳のせいでもあると思っていたのだが・・・
去年春の10kmマラソンは57分だったが、秋は68分かかった。
これらのことを先生に話すと、「やっぱり自覚症状も出てるじゃん」(急に甲州弁)と言われた。

近年、最低血圧が下がったのも大動脈弁で血液の逆流が進んだから、という理屈が成り立つ。
「もともと少し大動脈弁閉鎖不全があったのが、加齢と伴に進行してきたのだろう」との診断。
”加齢”というのも嫌な言葉だナ。
「ゴルフはOKですか?」と聞くと、「下手なら走るからやらない方がいい、ハイキングもやらない方がいい」、散歩程度はOKらしい。



「大動脈弁置換の手術を前提として、心臓カテーテル検査により正確にチェックするのがよい。カテーテル検査を予約する?」と先生。
「何、へー手術の話けー!」と心の中で叫んだのが顔に出て、「早いほどいい」と言われた。
大動脈弁置換術・・・、想像すら出来ない手術だ。
開胸して、大動脈弁を金属でできた人工弁に替える手術、だという。
大ごと過ぎる、恐ろし過ぎる・・・

2泊3日のカテーテル検査で4月10~12日が循環器外科の先生のスケジュールで予約できる。
心臓カテーテル検査とは、足の付根の血管から細い管を心臓に入れて状態を見る検査らしい。
これも聞くだけで恐ろしいなー。

検査後数時間寝たきりになる時の付き添いと、重要な診断結果報告時に家族の同席が必要とのこと。
半信半疑のまま一応予約して、家族と相談することとした。
心不全の心配もあり薬まで処方されたので、薬局で買った。
利尿剤2種類と、心臓負担軽減貼り薬だった。
貼り薬に”ニトログリセリン”の成分を見て、恐ろしくて却って心不全で卒倒するような気がした。

今日まさかこんな診断を下されようとはナ~
医者の言葉は重い。
健康に関する自信がたった一日で木端微塵に砕かれてしまった。
全く悪夢のような一日だった。(思い出すのも嫌だ)
でも、ここで病気を見つけてもらってよかった、と解釈すべきなのだろう。

[処方薬]


3.セカンドオピニオン探し

即刻、 一大事を妻(兵庫県川西市の本宅在住で働いている)に伝えたところ、降って湧いたシリアスな状況をよく飲み込めないようだった。
マア、私本人だって未だ飲み込めてない。
わざとオーバーに言うと、やっと理解し「そんなら関西でやるべきや」と言った。
その通りや。
翌朝一番にY病院へ行って、昨日の医師に事情を説明し、カテーテル検査予約をキャンセルした。
「本宅がある関西の病院でやるので、紹介状を書いて欲しい」と言ったら快く引き受けてくれた。

さて、それから関西の病院探しである。
セカンドオピニオンにもなる。
ネットで調べると適当な病院が数多くあり、国立循環器病研究センターが川西市から近い大阪府吹田市にあることが分かった。
ネットには大動脈弁閉鎖不全症手術実績の全国一覧データもあり、当病院は全国3位の実績を誇り、日本の循環器病研究・治療のリダー的存在であるようだ。
病院名からいってもそのことは窺える。
阪大病院も神戸大病院も実績が高い。
個人病院でも名高い専門病院が近くにある。



大動脈弁置換術は全国で毎年8千件程が実施されている。
(因みに心臓移植手術は年数十件)
ネットでよく調べるとこの大動脈弁置換術の成功率は97%位のようだ。
3%は死亡、怖いなー。
手術をやる場合は遺書も書いておこう。
更に重篤症発生リスクもあるらしい。
ネットは便利なもので、易しいものから専門的なものまで情報が手に入り中には医師向けの難しいものまでもある。
私はこの病気に関して何も知らなかったが、私の大事な一命に関わる問題であり、関連する情報はその後何日もかけて貪るようにように読み、難解なものは印刷してじっくり読んだ。

「医龍」というテレビドラマがあって心臓病外科手術を題材にしているらしい。
アカデミックな番組が好きな私?なのに知らなかった。(アホなバラエティーばっか見てた?)
ビデオかDVDがあったら今度見てみよう。
予見を得ると余計怖いかなー?

Y病院にお願いして国立循環器病研究センター(以後K病院)とやりとりをしてもらって、4月早々には4月22日の診療予約を取ってもらった。
K病院は紹介状のある重症患者しか診ないような感じだ。
この間、最悪手術になることを考えて秋頃までの全ての予定をキャンセルした。
ゴルフ、飲み会、ハイキング、ぶどう狩り等々。
理由が必要なものもあるので、体調不良とした。
病名がシリアス過ぎて、友人や親戚にも詳しくは話さなかった。

何よりも悩ましいのはぶどう栽培である。
一番忙しい5~7月に最悪何も作業ができそうもない。
定年した友人達に頼んだが、「栽培する自信がねーわ」で断られた。
そりゃそうだ。
栽培上の技術が最も必要であるこの時期にズブの素人には難し過ぎるし、今年の結果面積19アールは素人には広すぎる。
家庭菜園のようにはいかない。
私は2年前結果面積4アール程度から始めたから何とかできた。
何せ”経営者”としての情熱があるし。

幸いやっと若い余裕のあるブドウ栽培者と労賃で折り合いがつき、やってもらうことになった。
4月中はやるべき作業は少ないが、17日まで私がやって、既に買ってある今シーズンの農薬等とともに彼に引き渡した。
ぶどう園の所有者にも了解を得た。
これで一応後顧の憂いはなくした。(つもりだった)
4月18日に川西市へ移動した。


4.セカンドオピニオン

2014年4月22日
予約通りK病院をY病院の紹介状を持って訪れ診察してもらった。
紹介状にはY病院の精密検査データが添付されている。
K病院でも心臓超音波、心電図、血液検査が実施された。
事後医師から心臓超音波検査の動画を見せられて、「大動脈弁閉鎖不全症で重症です」とY病院と同じことを言われた。
動画で見ると、左心室拡張期に大動脈弁の一つが完全には閉鎖せず少し逆に開き血液が逆流していることがよく分かった。
セカンドオピニオンは同じだった。
心臓には他に3つの弁があり、其々名前があり、異常(狭窄と閉鎖不全)に関して其々の病名がある、総称して心臓弁膜症と呼ぶ。

[国立循環器病研究センター]

重症でなければ自覚症状もないし、程度に応じた生活をして経過観察をするということになる。
しかし改善することはないという。
私の場合、気づかなかったので激しい運動をし過ぎたから重症になってしまったのか・・・?
健康のためと思って走ったり泳いだりしたことは、私には不健康だったんだ。
重症の場合は放置しておくと心不全につながる恐れがあるため、大動脈弁置換の手術が勧められる。

でも今走ろうと思えば走れるし、泳ごうと思えば泳げる(たぶん)、ピンピンしている私がそんな大手術だなんて・・・
ハッキリ言って納得できない。
しかし、生活の質
QOL:quality of lifeの観点から、制限の多い生活をしたくないのであれば手術を選択するしかないのだろう。
ダイイチ、今までQOL何て言葉さえ知らなかった。(・・・俺のQOLは良かったから(笑))
手術後は心臓の機能は格段に改善されるようだ。
十分納得はできないが、手術をするしかない。
散歩しかできない生活なんて、クリープを入れないコーヒーみたいなもんだ。(例えが古過ぎ)

大動脈弁置換術とは、胸骨を開き人工心肺装置を付けて(従って自己心肺を停止して)行う大動脈弁交換手術で、輸血しながら数時間もかかる大手術である。
恐ろし過ぎる・・・
人工弁の種類と長短
交換する人工弁は金属や炭素繊維製の機械弁とウシやブタの心臓組織を使った生体弁とがある。
ちなみに人工弁は全て輸入品で単価百万単位らしい。
それぞれ一長一短があり簡単にまとめると次の表のとおり。
手術件数は機械弁の方が少し多いが、生体弁の割合が近年増えている。

機械弁   生体弁  
耐久性    永久的         10~15年で再置換が必要
抗血栓 生涯抗凝固剤を服用する  抗凝固剤不要
抗凝固剤影響   出血時血が止まりにくい  
抗感染症 強い
定期的受診 必要
弁開閉音   微かにする

            

63歳とまだ若い?私は旅行もしたいしハイキングもしたいしゴルフもしたいし(下手でも)、なにしろもっと生きたい(手術リスクはあるが・・・)。
手術をする場合の弁はどちらがいいのだろう?
QOLの観点もある。
機械弁は、構造上血栓ができ易いのでワーファリンという抗血液凝固剤を飲み続けなければならず、出血時はワーファリンの影響で止血しにくい。
生体弁は、10~15年しかもたないから、80才前に再手術。
ウーム・・・

      

医師からやっぱり手術を見越した心臓カテーテル検査を勧められたので、了解した。
この検査は、弁置換手術をするため心臓の状態を正確にチェックし、手術の可否と最適手術方法を決めるために行う。
循環器病専門のこの大病院はカテーテル検査待ちの患者も多く、検査は大型連休(GW)明けになる。
病院のスケジュールが確定したら連絡をもらうことになった。

この検査は入院になるので、窓口である入院センターへ行き申し込みをし説明を受けた。
大動脈弁置換の手術についての費用の説明もあった。
ネットで得ていた情報では入院と手術に総計数百万かかり、保険適用になることからその3割が自己負担なので約2百万と思っていた。
入院センターの説明によると、医療費が高額になる場合は健康保険の限度額適用認定により、月に払う自己負担額(食費や入院個室割増は除く)が一定になる制度があるという。
それによると自己負担はかなり少なくなりそうだ。
後日山梨市へ問合せ、国民健康保険の限度額適用認定申請書を送ってもらい記入して送り返した。
(市から届いた認定証は5月12日病院へ提出)

私は社会人になってこのかた歯医者以外医者にかかったことがなく、健康保険制度の恩恵は全く感じたことがなかった。
「健保制度がなければ俺の貯金はン千万単位で多く貯まっているハズだ」と不遜なことを言っていた。
・・・反省致します。


5.あわや発作か?

2014年4月24日
朝、家の外の水道場でしゃがんで運動靴を洗っていると、急に息切れがしだした。
これぐらいのことで息切れは初めてだったが、もう少しで洗濯が終わるので続けた。
息切れは収まらず高まってきて胸に圧迫感があった。
直感的にこれは発作か?と危惧した。
慌てて立ち上がると目まいがして更にひどくなった。

すぐ家の中へ入ってフロアに横になったが、心不全の兆候か?、と思うと胸がドキドキしだして意識が遠のく感じになりパニックになった。
俺はこのまま死ぬかもしれない、と思った。
妻に話して救急車を呼ぶかどうか相談した。
自家用車で行った方が早いかも、とかなんとか議論していた。
Y病院で処方されたニトログリセリンの貼り薬をこの症状で使っていいのかと少し躊躇したが、胸に貼った。

先ず、K病院に電話をかけ2日前に診てもらった医師に状態を説明してK病院に救急車で行ったらいいかどうか、相談してみることにした。
診療中だったので5分後、再度電話した。
その間、息切れと胸の圧迫感は消え去っていた。
先生に説明すると、「しゃがんで窮屈な姿勢で作業したから心臓が圧迫されて機能が落ちたのだろう、心臓を圧迫するような姿勢は取ってはいけない」、「何かあったら勿論救急車で来てもらっていいが、あなたの場合突然死する程には心臓は弱ってはいない」、と言われた。
循環器病で著名なこの先生の言葉に安心した。(後で気がついたがTVの健康番組によく出ている)
パニックになってしまったのがよくなかったナ。
つい1ヶ月前まで何も知らず走ったりしていたのだから、ここまでの変わりようは何が何でもないだろう。
今年2月の120cmの大雪の時も近所の人達と一日中道路の雪かきの重労働ができていたのだし。


激しい運動は禁止以外特に制約はないので、大阪へ映画に出かけたり、市内に住む息子家族とBBQをしたり、孫達と遊んだり、ビールを飲んだりしていた。
5月始めK病院の入院センターから電話があり、「心臓カテーテル検査等のため5月9日から入院されたし」、とのことであった。

            



6.心臓カテーテル検査

2014年5月9日
人間ドックでの入院以外生まれて初めての入院だ。
個室もあるが当方のオプションでコストの安い4人部屋を予約していた。
私を担当して頂く循環器内科の数人の医師チーム(主治医・担当医・カテーテル医?等々)が病室に挨拶に来られ、説明を受けた。
8日間の予定で、心臓カテーテル検査、経食道心臓超音波(経食道心エコー)、ホルター心電図(24時間心電図)、CTスキャン、MRI等々目白押しのようだ。
後で初診で診てもらった先生も激励に訪れてくれたので、発作騒ぎでのアドバイスのお礼を言っておいた。

今日は脳のCTスキャンを受けた。
心臓手術をする場合、脳血管に異常がないことが前提だ。
手術で生じる可能性がある小さな血栓でも脳血管に異常があるとそこで詰まって大事になる。
従って脳血管に異常があれば心臓手術前に治療しておく必要がある。
虫歯の場合もそこから菌が入り心臓弁膜を損傷する恐れがあるので、事前の治療が必要。

心臓カテーテル検査は、足の付根や手首等の血管からカテーテルを心臓まで通す検査だからそれなりのリスクがある。(重篤症発生率2,000分の1)
私の場合は、12日に左手首の動脈と右足付根の静脈からカテーテルを入れるスケジュールになっている。
患者が承諾書にサインをしないと検査は進められない。
即サイン。(インフォームド・コンセント)

ナースは交代で24時間体制でお世話を頂く。
早速、入院中ずっと心電図を監視する発信器付きの装置を胸にセットされた。
毎日午前、午後、夜の3回 体温・血圧・血中酸素濃度・聴診の検査が行われる。
夜、私の名前を呼んで若いナースが病室を訪ねてくれた。
同階の別の患者グループの担当だが、何と山梨県出身の同郷のよしみで激励に来てくれたのだった。
予期せぬ嬉しいことだった。

[病室のベッド]


5月10日
8階にある4人病室の窓側の2ベッドは窓から千里丘陵を見下ろし、大阪の街が遠くに見える絶好の見晴らしだ。
日本一高いビル アベノハルカスも見える。
私は生憎廊下側だが窓側には共通窓もある。
病院でなくリゾートのホテルだったらよかったのに。

担当の医師は若い先生でよく病室に来て説明してくれ、質問に応えてくれる。
話の内容は病室内では筒抜けになってしまう。
他の3人も同様だから、其々、心筋症、心内膜炎、弁膜症であることが窺い知れた。
勿論重要なことは医師の個室で患者に話される。

[病室からの景色]

循環器病院だから食事は減塩に気が配られていて一日食塩6gで作られている。(日本人男性普通摂取量:約10g、厚労省目標:9g未満→2015年4月更に下がって8g未満、WHO基準:5g)
ご飯かパンが選べる。

朝食 昼食 夕食

私の場合は入院中も特に飲食の制限は付いていない。
「ビールはいいですか?」と聞いたらやっぱり、「ここは病院ですからね!」と厳しく言われた。
予想していたとは言え、社会人になって以来初めて8日間ものノンアルコールの試練。
4年間ムスリムの国々に滞在した時でも毎晩飲んでいたのに。


5月11日
今日は日曜日、外来患者が来ないから病院内は実に静かだ。(土曜日も休み)
明日はいよいよカテーテル検査だ。
点滴(生理的食塩水)装置が右腕にセットされた。
刺された静脈の部位が悪い(曲がっている)のか、点滴装置のアラームが時々鳴る。
ナースが「刺し直しましょう」と言ってすぐ横の細い静脈にトライしたが2回とも失敗。
結局もとのまま。
「スミマセン」と言うから、「いいさよ~(:甲州弁でいいですよ~)」と言ったら、分かったようだった。

明朝10:30、二番目として検査開始予定。
従って明日の朝食は抜き。
深夜、空腹で寝られなくなったので、買っておいたチョコレートとビスケットを食べた。

[点滴装置]


5月12日 (心臓カテーテル検査)
朝10時には来てもらうように妻に言っておいた。
ところが一番目のカテーテル検査の患者がパスしたということで、急遽私が一番目で9:00開始になった。
パスってどういうことうヨ?
怖気づいたのかな?
もう少し医者から説明を聞いた上で決めたい、ということのようだ。

私は朝 シャワーを浴びて、下の毛を自分で剃る段取りだった。
もうそんな時間はないということで、移動ベッドに移されると、廊下で特殊な電気シェーバーでナースさん(女性)にやって頂いた。
ナースさんに対して恥ずかしかったし、廊下だから人が来ると更に恥ずかしかったが、幸い誰も来なかった。
カテーテル後数時間は寝たきりで動けないので、尿ホースをペニスにセットしなければならない。
「これはご自分でどうぞ」、ということなので、トライしたがホースの構造がよく分からない。
「コンドームのようにして被せるのです」との率直なアドバイス。
「○起してないから難しいです」と冗談ではない真実を言おうとしたが、セクハラになってはいけないので止めといた。

カテーテル検査室に移され、チームから挨拶を受ける。
私は、「よろしくお願い致します」、と丁重に言う。
早速麻酔の注射だ。
カテーテル検査はカテーテルを挿入する血管の周りだけの局所麻酔である。
検査中「息を止めて」とか「吐いて」とか指示が出るから、全身麻酔ができないのか?
局所麻酔とはいってもその部位に大きな違和感があり、痛くないことはなく、正直言ってこの検査は苦痛だった。

医師たちの会話が聞こえ、横にある多くのモニター画面も顔を曲げれば少し見える。
「もう一回いきましょうか」とか「これは・・・」とか話してるので不安にもなる。
専門用語が飛び交う。
記憶しておいて後で調べようにも多すぎて諦めた。

心臓に届いたカテーテルから造影剤が注入されると、全身がカーッと熱くなる。
胸から、首、頭、胴、手、脚と数秒で広がっていく。
血流と同じ早さなのだろう、意外に早い。
冠動脈にも造影剤が注入され念入りに検査される。

時計が見えないので時間が分からないが、目安の50~60分はとうにオーバーしている感じだ。
「心臓でカテーテルが入っていることを感じることはない」との説明だったが、何となく心臓内部で違和感がある。
モニターに映った自分の心臓の動きを実況で見ていると、心臓は体のパーツ(部品)なんだなとつくづく思う。
この心臓に今まで負担をかけ過ぎて申し訳なかった。
頑張っている心臓が何か愛おしくなってくる。

翻って命とは何か?、と考えると、脳だってパーツだろうから、意識こそが命だと思う。
カント、デカルトの世界だな。
ということは、意識が完全に失くなる脳死が死だな・・・
心臓カテーテル検査の最中、医学、哲学的思考を巡らせている私だった。

暫くするとカテーテルを入れる時の動作と逆の動作をしているから抜いているのが分かる。
カテーテルが血管内を通るのも何となく分かる気がする。
「終わりました」との言葉で、体に被せられたシートを外されるとそれは血で濡れていた。
左手の指を動かすとヌルヌルしていた。
当たり前のことだが出血がかなり?あった。
でもこの程度では輸血するまでには至らないのだろう。

検査が終わると別のコーナーに移されて、止血措置を行う。
ここには時計があったので見ると、午前10:50だった。
110分かかったことになる。
目安にしていた時間の倍だ。
どうかしたのかな?、何か不安になる。

ナースがカテーテルを入れた部位を20分程強く押さえて出血の状況を見ながら措置してくれる。
左手首の動脈部位には止血圧力を調整できるバンドを装着してくれた。
それから病室へ移された。
今から静脈部位(右足)は午後3時まで、動脈部位(左手首)は午後7時まで動かせない。

昼食は寝たきりなので妻にスプーンで食べさせてもらった。
4才と2才の孫達さえ一人で食べられるのに・・・
妻の有り難みが分かった。(やっと)
午後3時に足の止血が確認されて歩けるようになった。
尿はずっと我慢していたので早速トイレに行った。

ナースさん達の看護がありがたい。
昔と違って男性のナースも少しいる。
男女を問わず献身的にやってくれる。
初めての入院で有り難みがよくわかった。
白衣の天使達、多謝。

夕方、主治医の先生が様子伺いに来てくれた。
気分も状態も全く普段どおりになっていた。

       


5月13日
今日はホルター心電図(24時間心電図を記録して検査する)の日だ。
午前10:20から明朝10:20までを記録する。
その間の自分の行動を時系列に細かく書きとめ提出する。
24時間の尿量も測られた。

胸に貼られた電極はホルター心電図が5ヶ所、今までの異常時モニター用が3ヶ所で計8ヶ所。
私の場合、行動自由度Ⅴ(低い順にⅠ~Ⅴがある)の患者なので、正門脇の東屋、図書室(インターネットコーナー有)、屋上庭園、院内コンビニ等々、外の一般道以外はどこでも行ける。
もう今日はまたどこでも歩ける。

持参した私のPCとタブレットはイーモバイル(Wi-Fi)なので、どこでもインターネットに繋げるし、病室での使用も許されている。
病院のPCもWi-Fi対応だという。
でも、携帯電話とそのメールは病室では禁止。

病室でのスマホでメールは?・・・
医療機器や心臓ペースメーカーの誤作動対策でのルールだが、IT機器の発達にルールがついて行かず、何かチグハグな感じ。
それとも私の知識不足?

東屋 東口 4階屋上庭園

午後、昨日の心臓カテーテル検査結果が担当医から伝えられた。
大動脈弁閉鎖不全症・重症、かつ
大動脈弁輪拡張症(大動脈基部拡張症)
大動脈弁輪拡張症とは、大動脈弁周辺の大動脈基部の径が大きくなり過ぎているということ。
病名が一つプラスされた、・・・ガクッ。

このため大動脈も該当部分を人工大動脈に置換する必要がある。
更に冠動脈が大動脈基部から伸びているので、冠動脈を置換した人工大動脈に繋ぎ替える。
この手術は複雑だから手術リスク(難易度)は高くなる。
これを大動脈基部置換術(大動脈弁と大動脈基部の置換手術):ベントール手術という。
ベントールは決して”弁取ーる”からきている訳ではなく、考案した医師名からきている。
医学界ではフザけたネーミングは有り得ない。
私の手術は更に大ごとになってしまった。

私の場合、大動脈弁での逆流が少しづつ少しづつ長いことかけて進み、心臓と大動脈に負担をかけ続けた。
このために現在の状態(病気)になった。
このことは血液中のBNP値が異常に高いことからも窺える、とのこと。
Y病院の先生と同じことを言う。
(BNP:脳性ナトリウム利尿ペプチド、心臓から分泌されるホルモンで心臓に無理がかかると増加する)
BNPと心筋症等心臓病との関係はK病院が世界に先駆けて発見したらしい。
しかし私の場合、心筋症とは診断されていない。
心拡大がありBNPが異常に高いにも拘わらず心筋の厚さは正常の範囲に保たれている。
仮に、大動脈弁閉鎖不全症と大動脈弁輪拡張症なおかつ心筋症ともなれば、心臓移植しかなくなるのか?


非常に紛らわしい心臓病名や心臓の状態を以下まとめると
(Wikipedia等からコピペし要約した)

狭心症 : 冠動脈の異常による一過性の心筋の虚血(動脈量の不足による局所の貧血)ための胸痛・胸部圧迫感などの主症状である。なお、完全に冠動脈が閉塞、または著しい狭窄が起こり、心筋が壊死してしまった場合には心筋梗塞という。

心筋症 : 心機能障害を伴う心筋疾患。肥大型、拡張型、拘束型、不整脈原性右室心筋症、分類不能型に分類される。心臓移植がこの病気にとって非常に有効であることが多いことから注目を浴びるようになった疾患である。

心不全 : 心臓の血液拍出が不十分であり、全身が必要とするだけの循環量を保てない病態を指す。そのような病態となるに至った原因は問わず、端的に述べると「心臓の収縮力が低下」した状態である。

心筋炎 : 感染症、中毒あるいは原因不明の心筋の炎症性変化。無症状のものから発熱、頻脈、呼吸困難などの臨床症状を示すものまである。特に急性心筋炎は、特異的所見に乏しい上に急性の転帰をたどることから、臨床上重要である。大動脈解離やクモ膜下出血、急性喉頭蓋炎などとともに診断に苦慮する疾患のひとつとされている。

心拡大 : 心臓の大きさが拡大している状態。心臓の壁は、厚いか薄いかは関係ない。高血圧症では、しばしば、心肥大と心拡大が共存する。ただし、拡張型心筋症では、心拡大はあるが、心肥大はない(拡張型心筋症では心臓の壁はむしろ薄いことが多い)。

心肥大 : 心臓の壁が厚くなっている状態。高血圧の患者では、心臓に負担がかかって、心肥大になることがある。また、肥大型心筋症でも心臓の壁が厚くなる。厳格に言えば、心臓の大きさは関係ない。心肥大というのは、心臓の壁が厚い状態だが、心臓の大きさが大きいか、小さいは関係ない。



5月14日
今日は午前 個別食事指導があった。
妻に来てもらって一緒に栄養士の説明を聞いた。
減塩と減カロリーに留意しないとな・・・

午後は身体のCTスキャンがあった。
この検査は放射線で断層撮影しコンピューターで画像処理される。
簡単に済むから楽だ。

いつだったかMRI(磁気を使った身体の断層検査)もやった。
機械の回転音がうるさいがこれも身体の負担は少ない。

更に担当医による運動負荷テストなるものがあった。
病棟廊下の半分50mを速歩(時速6km位)で6往復(600m)歩き(6分間)、前後に両腕・両足で血圧を測る、完了後即感じた苦痛度を述べる、というもの。
重症患者の俺にこんなことをさせていいのか?、とも思ったが、他の患者と比べてこんなことができるという少しだけ優越感もあった。
まあ、走ることさえ出来たが。
筋肉の苦痛度増加なし、心臓の苦痛度2倍増、但しmaxの60%位と報告した。
廊下を早足で歩く私にナース達がビックリしていたところを見ると、私だけに与えられたテストだろう?
大手術(大動脈基部置換術:ベントール手術)に耐えうるかどうか?・・・
別途、肺活量測定もあった。

入浴は週3回できる。
今日は私の入浴日ではなかったが、シャワーを浴びたかったので昼間空いている時にナースにお願いし、許可された。
ここは大病院で入院患者はいつも満杯だが、臨機応変にやってくれる。
患者様は神様です?

昨晩は眠れなかったので、薬剤師に睡眠導入剤を3錠(3日分)もらって(勿論後で請求される)夕食時(午後6時)1錠を服用した。
直ぐ眠くなって、テレビを見ながら寝てしまった。
凄い悪夢を見て目が覚めた。
夜中の1時半だった。
悪夢は全く久し振りだが、心臓が圧迫された時見るようだ。
私は夢の中で泣いていた。(現状の境遇でさえも泣かないのに)
恐らく寝言でも言ってシクシクしていただろう。
同室の人に迷惑だったかな?

三島由紀夫の小説「豊饒の海・春の雪」に夢日記をつける主人公が出てくる。
夢は覚めた時は覚えているが直ぐ忘れてしまう。
この悪夢は鮮明な内にメモしてみた。
次も見たらまたメモしよう。
悪夢は心臓病と関係あるかな?、それとも睡眠導入剤の影響かな?

同室の人たちも、イビキの人、深夜にスナックを食う人、歯軋りをする人・・・
まあ、お互い病状を曝けて同志的な雰囲気が生まれているので、文句は言えないが。
若い人2人、老人1人、私はどっち?
次に入院する時は個室にしよう。




5月15日 (経食道心エコー検査)
今日は経食道心臓超音波(経食道心エコー)検査の日だ。
食道に超音波発信器を挿入して心臓の状態を観察する。
腹部エコーだと肋骨等で心臓が見えにくいが、食道からだと障害物のない裏側から見ることになり、新たな情報を得られる。

装置は胃カメラより太いので苦痛も大きく、同様に喉麻酔を行う。
胃カメラは健診で何回も飲んだことがあるが、ハッキリ言って苦手だ。
まあ好きな人はいないだろうが・・・
今日は静脈からも少し麻酔をかけるという。
この検査も入院初日に同意書にサインした。

要絶食のため昼食は抜きで午後3時から始まった。
病室で左腕に麻酔用の注射針をセットされる。
どういう訳か病室から車椅子でナースにより検査室へ運ばれる。
今年4月から働き始めたという名札に若葉マークを付けた女性の謙虚な可愛らしいナースさんだ。
私の場合歩いて行けるが、帰りは麻酔のため車椅子だから行きも車椅子がルールらしい。
車椅子も初めての経験だ。

検査室に着くとチームと挨拶して、車椅子のまま直ぐ喉麻酔をされた。
ゼリーとスプレーの2種類と念入りだ。
ベッドに移り中空きのプラスチックマウスピースを咥える。
左腕から更に麻酔が注入されたらしい。
あとの事は全く覚えていない。
検査室で気がつくと終わっていて、車椅子に乗っていた。
でもまだ夢の中のような感じ。
チームに「ありがとうございました」と挨拶したのは微かに覚えている。
どんな場合でも礼儀正しさが常に現れる。

喉・食道に違和感は何もなかったし残ってもいない。
今回の麻酔は手術に向け麻酔の効き具合も試していたのか?
手術の場合も全身麻酔だから同様の感じなのだろうか?
大手術だが気がついたら終わっていた、というような楽な手術だといいのに。
自己心肺を停止させられて(生死の境をさまよって)生還した場合は冥界の記憶が夢のように残るのだろうか?(考え過ぎか?)

車椅子で病室に戻る時、ナースと個人的な話(どうしてナースになったかというような)をしたような気がしたが、夢だったような気もする。
ベッドに移る時フラフラした。
誤嚥を防ぐため1時間は禁飲食。
1時間後ナースが水を持ってきてくれた。
その間、麻酔の残り効果で眠っていた。
喉が渇いていて冷たい水がとても美味しかった。

夜、担当医と医室で協議。
大動脈基部置換術で弁をどうするかについて思わぬ提案があった。
私の場合、大動脈弁で血液が逆流はしているが、弁そのものはしっかりしていそうだから置換せずに自分の弁を使う。
つまり、大動脈弁輪の径が拡張したことで弁での逆流が起こっているが、その弁は機能的に使えそうだ。
そこで、弁を残し人工大動脈に繋ぐ。
私としては(動物の)生体弁でお願いしようと思っていたが、こっちの方がいいと思う。
明日は入院最終日で心臓血管外科医と手術について協議する予定になっている。



[主な心臓計測値(K病院は会話メモから)]

標準値 Y病院 K病院 手術レベル
左室拡張期径(mm) 38~54 75 74 75~
左室収縮期径(mm) 22~38 50 54 55~
左室壁厚 (mm) 7~11 9
駆出率(%) 58~89 61 32~45
大動脈径(mm) 19~37 42 43, 47 50~
BNP ~20 700台 600台
大動脈弁逆流(低い順レベルⅠ~Ⅳ) 逆流なし or or



5月16日
退院日だから妻に迎えに来てもらった。

午前、外科医師と担当医師と私と妻の4人で協議。
外科医から昨晩の担当医の話と同じ提案があった。
自分の大動脈弁を使う手術(デイビッド手術:自己弁温存大動脈基部置換術)のメリットは、
①生体拒絶反応がない
②弁使用期間が生体弁(動物)と比べて長くなる可能性が高い(一生持つ可能性が高い)
③抗血液凝固剤(ワーファリン)が不要
これは20年来の比較的新しい技術で、自己弁温存できる(弁がしっかりしている)ケースが少ないので手術事例は少ないが(K病院で200例位)、8割は10年以上持っている。
弁とその周囲を残し大動脈基部拡張部を径の正しい人工大動脈に置換する。

 [HP『医学用語集めでぃっく』から借用]
       [デイビッド手術前]              [デイビッド手術後]

K病院として私にはこの自己弁温存方法(デイビッド手術)を勧める、とのこと。
開胸してみて、もし自己弁が使えそうもない場合は生体弁(動物)を使うベントール手術とする。
俺は実験台か?
このデイビッド手術はベントール手術より時間が余計かかるらしい。
ということはリスクは更に高まる?
因みに、問題のある大動脈弁を自らの肺動脈弁で置換し、肺動脈弁を人工弁で置換する手術をロス手術という。
デイビッド手術(自己弁温存大動脈基部置換術)もロス手術も考案した医師の名前からきている。

私は依然として病気の自覚症状は低い。(発作騒ぎはあったが)
現状の
QOL(生活の質)と、手術のリスクと、予後(手術後)のQOLを総合的に判断して病院が勧める訳だからそれが正しいのだろう、しかし決定権は患者にある。
私はデイビッド手術を納得し了解した。
最終的には手術入院時に手術同意書にサインし確認されることになるのだろう。

人工弁2種類(機械弁、生体弁)と人工大動脈を見せてもらった。
人工大動脈は洗濯機の排水ホースのようなジャバラ構造をしていた。
余談だが、人工弁に置換した場合は
身体障害1級となる。
人工大動脈(人工弁輪)に置換しても弁温存の場合はそれはない。
参考資料身体障害認定基準・心臓機能障害
(これは厚労省資料と思われる。これの 三 疑義解釈、質疑8のイ、回答イ に「人工弁輪の場合は該当しない」ことが記されている。これは僧帽弁の場合だが、大動脈弁他も同様と思われる)
身体障害1級となれば税制面の優遇、電車・バス・タクシー・飛行機・高速道路割引、更にNHK受信料減免、携帯電話割引、駐車禁止除外、等々まである。
かと言ってそれ等優遇措置を得るため「人工弁にしてください」と言うのは本末転倒だ。



外科医の先生は内科医の先生とは少し違った印象を受ける。
最終請負人として、切った張ったの世界の人だからだろうか?
はっきり物を言う感じ。(正に単刀直入)
私の思い過ごしか?
私が執刀医に求めるものは、豊富な知識、豊富な経験、手先の器用さ、正しい判断力、迅速な行動・・・
素人的観点だが、こんなものだろう。
当外科医師も豊富な経験をもった心臓血管外科の著名な先生である。
この先生が執刀してくれるのか?、それは分からない。
外科医師、看護師等の数人のチームで行われるのだろう。

K病院では手術患者も非常に多く、緊急度を優先している、従って私の手術は6月下旬か7月上旬になる。
入院日は決まったら3日位前に連絡となる。
入院後3日位で手術となり、2週間後位に退院の運びとなる。
体調を整えて準備されたい、とのこと。

まだ1ヶ月以上も先かよ~
大手術を受けるのは怖いが、決めたからには早くやってもらいたい。
そこで不遜にも、仮の仮の話として、「仮に他の病院で早くできる所があったら、そちらにお願いすることはK病院としてOKですか?」とニュアンスを柔らかく聞いてみた。
二人の医師は、ここまできて日本有数・最先端のK病院以外でやる、という発想が全く理解できない、という顔をしていた。(怒ってはいなかったが)
妻さえも驚いていた。
まあそれはそうだろう。
私の精一杯の不満表明は全くの”糠に釘”だった。
私は「失礼しました、手術お願い致します」と丁重に言った。
マア正直言って、この病院で施術され、それでダメ(死んでしまう)だったらしょうがない、と思う程この病院のことは信用するまでになっていた。







7.手術前

俺の人生も波乱万丈だな。
万が一の場合、誰かの役に立つように健保証裏の臓器提供意思表示カードに署名した。(心臓は除くとしたが・・・(^_^;))
今回俺は神に召されるのか?(オーバーだな~、闘病の気概はあるのか!)
ノミナル(名目的)な仏教徒・神道イストの私はここで宗教に深く縋ることはない。(だろう)
宗教は信ずる者(だけ)の心の安らぎであるが、宗教が奇跡を起こすことはない?
でも神仏にお祈りはするだろう・・・
遠藤周作の歴史宗教小説「沈黙」のストーリー(神の沈黙)や、旧約聖書の「ヨブ記」(信仰深い男の苦難のストーリー)を思い出す。
宗教的思考をも巡らす今日この頃だ。

あ、そうだ、貯血はどうなるのだろう?
大手術が予定された場合、輸血用に自分の血液を予め貯めておく貯血があるとネット情報で得ていたが。
説明がなかったし、質問するのも忘れた。
手術までの期間が限られているから、貯血量も限られる。
血液の有効保存期間は21日と赤十字のHPにある。
輸血量はどのくらい必要なのだろうか?
術中回収式というのもあるらしい。

K病院は日本をリードする循環器病院らしく一般向け循環器病の解説書シリーズ(各16ページ)を刊行している。
現在100号以上にもなる。
病院に置いてあるので希望者は無料でもらえる。
私も関心のある号をもらって読み、基礎知識を高めた。



DVDレンタルショップへ行って心臓病外科手術題材のTVドラマ「医龍」を借りてきて見た。
TV放映時期、私は心臓病と全く関係ないと思っていたから存在すら知らなかったが、長編ドラマで面白くて引き込まれてしまう。
稲森いずみ(女医)と水川あさみ(ナース)がイイ。
心臓手術が控えている私としては、怖いもの見たさに興味深々だった。
まあ、ストーリー的には最後はマンネリだったが。
心臓手術のオンパレードで嫌というほど出てきた。
当然、大動脈弁置換術もベントール手術もデイビッド手術もロス手術も出てきた。
主人公の心臓血管外科医師(坂口憲二)は、大動脈弁置換術の失敗の濡れ衣を着せられた、という過去を持っている。
心臓手術の予見をビジュアルに大量に得て何かフクザツな気持ち。

家族・親戚は元より、友人・知人が電話・メール・SNSで激励してくれるのに勇気づけられる。
ありがとうございます。
万が一不帰の場合、密葬を指示しているので香典は辞退致します。(^_^;)

手術後胸骨が固まるまで3ヶ月位はかかる。
ということは、ぶどう園の仕事ができるのは10月頃からか・・・
7月迄の作業依頼しかしていない。
8月下旬頃から収穫作業が始まる。
誰かに手伝いを頼まないと・・・


2014年6月16日
K病院から電話があり、「手術のため6月20日から入院されたし、手術は6月24日を予定している」、とのことであった。
遂に召集令状が来たような気分だった。
死刑執行令状よりはマシだろう。
闘病の気概が沸々と湧いてきた。






8.手術

2014年6月20日
午前中入院。
身体計測、心電図、血液検査、レントゲン、腕静脈から造影剤を入れてCT検査、両腕・両足同時血圧測定を受けた。
両足の血圧測定はふくらはぎ下部で測り、まるでこむら返りした時のように苦痛だった。
前回測った時(5/14)は痛さは感じなかったが、今回は少し上の部分で測ったため強烈に痛かった。


6月22日
心臓血管外科医師(主治医)による手術(大動脈基部置換術)の説明を妻・息子と伴に受ける。(2時間)
手術説明・同意書(17ページ)にサイン。
新しく得た特記的事項を列挙すると、
・臓器保護のため20℃の低体温にする
・脳保護のため脳血液還流を20分停止する (通常体温だと5分停止で脳は壊死、20℃体温でも20分?が限度)
・心停止中に心筋保護のため心臓を心筋保護液に4時間浸ける(4時間?が限度)
・生命危険性3%、脳障害危険性3%、他
・人工大動脈はポリエステル製、拒絶反応を防ぐため牛のタンパクでコーティングしたもの
・予定手術時間7時間(10:00~17:00)
思っていたよりはるかに大手術だ。
しかし医療は進歩したものだな、そんなことができるなんて。
それでも大まか15人に1人は不帰か重大後遺症か・・・、やっぱり怖いな。


6月23日
当病院の医師から「大動脈弁輪拡張症と遺伝(マルファン症候群)の関係を調査研究しているので、あなたの手術切除部位と血液を検体として利用していいか?」、との申し出があった。
私はこのようなことは患者の同意なしにやってもらって一向に構わないと思うが、個人情報保護の観点から同意が必要らしい。
マルファン症候群は主に長身で手足の長い人に多い遺伝病であるので、私には関係無いのは明らかだが・・・
国立病院だから研究活動は国費でやっているので、この遺伝子検査の結果は患者に無料でフィードバックされる。
私は「喜んで協力します」と言って同意書にサインした。(何でもサインを要する)

明日の手術日は朝食抜き。
本日の夕食はひょっとすると最後の晩餐になってしまうが、病院食は味気ない。
ささやかながらアイスクリームを院内コンビニで買って来てデザートとした。(いつもは明治だが今日はハーゲンダッツ)
ビールかワインも飲みたかったが、それは許されない。(何しろ売っていない)


6月24日 (大動脈手術
8:45 歩いて手術室入室
ナース(複数)の言動がキビキビしていて、気合いが入っているのが分かる。
患者(私)のためにベストを尽くそうとしてくれているのだ、・・・本当にありがたい。
手術台に仰向けになると巨大な無影灯が異様な雰囲気を醸し出していて、否が応にも大手術を受ける心構えが高まってきた。
医療チームに「よろしくお願い致します」と挨拶。

8:50 右腕から麻酔注入
以後手術の記憶は全く無いが、今迄見たことがない不思議な夢を二つ見た。
失語症となって全ての言葉を忘れてしまった夢。
白い部屋の中に詰まっていた言葉が次々と消えていって、何か言おうとしても何も出てこない。
口をパクパクするだけ・・・
この時が脳血流が止められた時なのかも知れない。
次の夢は言葉が蘇る夢。
今までの言葉が全て蘇ったかどうか不安だった。
この時、脳血流が再開されたのだろう。
人間の記憶力は凄い。こんな死にそうになった時見た夢を鮮明に覚えているのだから。
死にそうになった人が冥界の夢や生体離脱の夢を見た、というのが理解できる。

















[心臓手術風景:K病院HPから許可を得て転載]
[私の手術風景ではありません(念のため)]


6月25日
集中治療室(ICU)?or凖集中治療室(HCU)?で目覚めた時、何日の何時だかまるで分からず。
長い時間が経過した、という思いはあった。
ここは天国か?(麻酔のためか夢見心地)
(一抹の不安だった)地獄ではないようだ。
時計があったので見ると10時だった。
切開した胸部が痛い。
ということはこれは現実で、手術から生還できたようだ。
部屋に来たナースさんに聞くと25日朝10時らしかった。
25時間も意識が無かったことになる。
その時の記憶が定かでないので、日時は今でもよく覚えてはいない。
私の場合、”体外離脱(幽体離脱)”も”冥界(三途の川)の記憶”もない、失語症の不思議な夢はあったが・・・(^_^;)

眠り、目覚めの繰り返し。
何時間も経ったような気がしても10分も眠っていない。
永遠に続くような繰り返しで長く眠れないことが苦痛だった。

その内、妻が来た。
手術は15時間かかったらしい。(ヒヤーッ!予定の2倍やんけ)

その内、主治医(主執刀医)が来て説明してくれた。
手術(大動脈基部置換術)は自己弁温存方式(デイビッド方式)で成功した。
大手術だった。
私は「ありがとうございました」と心から言った。
後で主治医から詳しく聞いた話によると、
時間がかかったのは、復温し体外循環離脱(自己心肺へ復帰)後出血が止まらなかったのと、右心の鼓動が止まりそう(原因不明)になったことによる。
そのため閉胸できなかった。
輸血は成分輸血で対応した。(10人分)
人工心肺装着時間が長くなると、血小板等の血液凝固因子の働きが弱まり出血が止まらない場合がある。
大動脈基部を人工大動脈8cmで置換した。

痰がからむ。
人工呼吸器(人工心肺後装着する?)を気管に入れていたためらしい。
咳・クシャミをすると胸の傷が強烈に痛む。
声もかすれてしまっている。

首の血管から心臓へ2本の点滴チューブ、左右の腕静脈からも其々1,2本の点滴チューブ、腹にはドレインの2本のチューブ、鼻には酸素チューブ、尿管には排尿チューブが入っている。
体がチューブだらけで身動きがとれない。
栄養は食事ではなく点滴でまかなわれているので食欲は全く無く、便意も無い。
輸血と点滴のため体重が5kgも増えているらしい。

微熱がある。
エアコンに敏感だから風邪を引いてしまったのか?
ここで風邪を引いたら悲劇だ。
術後、抗生剤が点滴されているのでそれで治まればいいが。

この日早朝(日本時間)WCサッカー日本vsコロンビア戦があったが、興味はあったもののこっちはそれどころの騒ぎではなかった。
数日後、結果(1-4で負け、予選敗退)をTVで知った。


6月26日~7月14日
手術後、集中治療室(ICU)→凖集中治療室(HCU)を経て、予約していた個室(C)に移動。



個室は、A(税別32千/d、トイレ・浴室・流し台・応接セット・他)、B(22千、トイレ・流し台・応接セット、他)、C(8千、写真)とある。

排尿チューブ、腹ドレインチューブ、鼻酸素チューブ、首点滴チューブが順次外されていって、腕点滴チューブ1本だけが残された。
麻酔無しで行う腹ドレイン跡の抜糸は痛かった。
毎日3回 血圧、体温、酸素濃度測定と聴診。
3食後の薬は計14種類(強心剤1,心不全改善薬1、降圧剤2,利尿剤(降圧作用有)3,抗血栓剤(ワーファリン)1,抗炎症剤1,鎮痛剤1,胃酸抑制剤3,去痰剤1)1日約20錠。
週2回程の心エコー、レントゲン検査。
時々造影剤を腕静脈から注入してCTスキャン。

暫く暖かいご飯や味噌汁を見るとどいういう訳か嫌悪感さえ出てきて食欲は全く無かったが、徐々に出てきて1週間もすると完食できるようになった。
好物のビールは未だ全く飲みたいと思わない。
心臓手術のため体が欲していないのだろう。

血圧が上がらない。
最低が50~60、最高が70~80。
血圧がこのレベルでは頭がボーッとなって目まいがして、ものがよく見えない、しんどい。
もし一生この状態が続くとしたら手術しなければよかった。

検査のための他のフロアへの移動はナースによる車椅子。
驚いたことにあるナースは最高血圧が70台だと教えてくれた。
常にそれだから何の不都合もないのだと言う。
へー、そういう人もいるのだ、それとも私を慰めるためにオーバーに言ってくれた?



心エコー、レントゲン検査によると、心臓外側(心臓を包む心嚢膜との間)に水(心嚢液)がやや異常に溜まっているらしい。
これは手術(切開)によるものだが、心臓が圧迫されて血圧が上がらない原因ともなる。
水は日が経つとともに減少するものだが、私の場合減っていない、体質にもよる。
「胸を再切開して水を抜く手術をする」という提案が先生からあった。
「緊急は要しないのでもう少し様子を見る」という手もあるという。
私は再切開は恐怖なので、入院は長引くことになるが後者を選択した。

普通であれば7月上旬にはもう退院している頃だ。
血圧が上がらないのは薬(降圧剤、利尿剤)の所為もあるし、心嚢液の所為もあるが、心臓が相当に弱っている(術前から)からだそうだ。
4月のあの発作騒ぎも起こるべくして起こったのか?
去年の夏を境にして確かに速く走れない長く泳げない等の自覚症状を感ずるようになった。
2月の大雪の雪かきの時もよく思い返せば息切れがしていた。
1月の健診で心雑音を見つけてもらってよかった。
指摘されずそのままの生活をいつまでも続けていたら・・・、と思うと恐ろしくなってくる。
もっと早く見つけてもらってもっと早く手術を受けていれば、術後の回復は普通(もっと早く)だったのだろう。

家から血圧計と聴診器を持ってきてもらい、自分でも頻繁に測っている。
140もあった最高血圧が80、高血圧を気にしていたのが、低血圧を気にするハメになろうとは・・・、皮肉なことだ。
心雑音は聞こえなくなった。
心エコー検査によると大動脈弁での血液逆流レベルは手術後Ⅰだという。(低い順にⅠ~Ⅳがある)
普通の人の心臓のように逆流ゼロが理想だが、私の場合逆流していた(ⅢorⅣ)自己弁を使ったのだからこれくらいの逆流はしょうがない。
この自己弁が一生持ってくれるといいのだが。
そのために自己弁を生かしたのだから。
マア、直ぐ死んでも”一生持った”ことにはなるが。

ある朝、運動不足、睡眠不足等でのぼせて鼻血が出た。
手術後ワーファリン(抗血栓剤のため出血時止血しにくい)を飲んでいるので、血が止まらないのでは、と心配したが意外と早く止血した。
濃度が低いからだろう。
機械弁を使わなくても術後数ヶ月はワーファリンを飲むことになっている。

持参したPCでインターネットに繋いでも気力が続かず長くはできない。
返事を要するメールに2~3行返答するのがやっとだ。
趣味のネット株にも全く興味が沸かない。
この際ドーデモいいけど東京マーケットは相変わらずNYマーケットに引きずられている。

当病院にはバイオバンクという事業がある。
この事業のため患者は、自分の各種診療データ、病理組織標本等を病院が研究に利用すること、企業が医薬品・医療機器の製品開発のために利用すること、に協力するか否かの意思を求められる。
私は「協力します」として確認書にサイン。


7月15日
依然として腕静脈からドブタミンという強心剤の点滴を受けている。
これは強い薬だから順次投与濃度が減らされてきた。
1~2日毎に静脈点滴ポイントも替えないといけない。
使った点滴ポイントは腫れ上がり暫くは使えない。
私の両腕はもう全体が腫れ上がり使えるポイントは極めて限られる状態になってしまった。
今日は当番ナースが2回失敗、静脈注射が上手な別のナースが呼んで来られたがこちらも2回失敗、最後に切り札ナース(意外にも若い女性)が来て見事1回で成功。
特に針が長く痛いこの点滴針の静脈注を今日は5回もやられた。(普段失敗はあっても1~2回)
この恐怖がトラウマとなり、以後定期的な採血でも恐怖を感じてしまうようになってしまった。
第一心臓によくないわ。
性格的にマゾであればよかったナ。




7月16日 (心嚢ドレナージ手術
心エコー、レントゲン検査で残念ながら心臓外側の水が減っていないことが確認されている。
血圧は依然低く最高血圧80前後が続いている。
主治医の先生は業を煮やし、「今日午後水抜き手術をしましょう」と言った。
私は「お、お願いします」と言うしかなかった。
ドブタミン静脈注の件もある。

手術説明・同意書には、病名:
心タンポナーデ、術式:心嚢ドレナージ、と書かれていた。
心タンポナーデとは心嚢液が増えていき心臓を圧迫するため、急性の場合2時間で心停止するという危険な病気だ。(私の場合急性ではない)
手術は胸部を切開して心嚢液を抜き2~3時間で終わる。
奇しくも今日、前回切開した傷(意外に短く約10cm)の瘡蓋が完全に取れた。
その傷の下部を再度4cm程切開する。

[慶応大学病院HPから借用]

車椅子で手術室に行き、手術はチームの若い先生達により午後12:30に始まった。
麻酔は注射でなく口マスクからだった。
「深呼吸して」の指示が出て、数回で意識がなくなった。
気がつくと午後1:45だった。
早い手術だった。
やはり尿道にはチューブが入れられていた。

新たな傷口が痛む。
痰がまたからむ。
麻酔のため自己呼吸できないのでここでも人工呼吸器を気管にセットしていたためらしい。
声のかすれが更に悪化。
(この病院の入院患者は人工呼吸器装着したため声がかすれた人が多い)

心嚢液(水)は300ml程抜かれた。
術後も腹部から吸入器チューブにより水が抜かれている。
吸入器に血の混じった液(水)がわずかに溜まっているのが見える。

ナースさん達が更に親切になった気がする。
6/24のデイビッド手術後22日目にして更に心嚢ドレナージ手術を受ける羽目になった私に同情しているのだろう。
こういうケースは稀にあるらしい、可哀想な私。


7月17日
朝、最高血圧80台、腹部ドレインチューブ外し、ドブタミン濃度半減。
昼、最高血圧70台、昨日水を抜いたばかりなのに血圧が下がってしまった。
早速、担当外科医チームがポータブルエコー装置を持って来て、心臓チェック。
モニターを見ると、また少し水が溜まりだしたらしい、・・・ガクッ。
ドブタミン濃度が元に戻された。
再び心タンポナーデと診断されれば、また切開・水抜きしか手は無い。
TVドラマ「医龍」のように次々と難題が降りかかる。(ドラマの中だけにして欲しい、自分の事だと発狂しそうだ)

夜、更に頭がボーッとしてきた。
灯のスイッチを消すため立ち上がったら、貧血で床に崩れ落ちるように倒れた。
顔から落ちる感じだったが、辛うじて手をついた。
ボクシングでKOされた感じ。(・・・ボクシングしたことはないが)
自分の血圧計で測ってみると、上が60前後、下が40前後だった、・・・ヒドすぎる。
倦怠感最大、気分は最低、改善の兆し無し。
寝返りしただけで息切れ、ベッドで横になっているのに貧血感。
どうしてしまったのだろう?
何せ かつて140あった血圧が60なのだから、この違和感は凄まじく、生きている心地がしない。
棺桶に片足を突っ込んでいる感じ。

「俺の命は今夜が峠かも知れない」と本気で考えた。
もしものため家族に「ありがとう」のメモを残そうにもその気力さえ無い。(眠たくもなってきたし)
ここで死ぬんやったら外国に嫁いだ娘にも会っておきたかったのに。
もし心電図に不整脈等の急な異常が現れれば、24時間モニターしているナースが飛んで来て対処してくれるのだろう。
明日俺は生きて朝を迎えているのだろうか?、と思いつつ睡魔に襲われる・・・


7月18日
朝、目を覚ますと、私は生きていた、・・・ホッ。
昼、病院に来た妻(楽天家かつ強気)に昨夜のことを話すと、「悲観主義者(私)が何と大袈裟なことを言って・・・」、と笑われた。
今日は上の血圧が80まで回復しているし、顔色も悪くないし、多弁なので想像できないらしい。
まあ、あのような事は経験した者でないと決して分からない。

向学心旺盛?な私は、自分の
カルテを見たいという好奇心が湧いてくる。
患者の
カルテ閲覧権は裁判上争われてきた事のようで、医者の医療行為に過誤の可能性があり裁判沙汰になった場合以外は認められないようだ。
患者が単なる探究心等からカルテ閲覧(医師は嫌がるらしい)を望むことは、医師との信頼関係を崩すのですべきではない、事のようだ。
医師法・医療法に医師がカルテを見せる義務の規定はどこにも無い、らしい。
医師は都度おそらくカルテの一部を見せながら十分説明して治療を進めてくれている、まあ、それでいいのだ。

→その後の調べで、病院のカルテ開示義務は個人情報保護法成立時に法制化されているようだが、個人の利益に反する場合は開示しないこともできるようだ。:参考資料

[電子カルテ例]


7月19日~21日
血圧は次第に改善(上昇)して上が90に。
BNPは300台に低下。
心エコー、レントゲン検査結果は水増加無し、但し減少も無し。


7月22日
点滴ドブタミン完全切り。
点滴がやっとのこと切れて点滴針を刺し替える必要がなくなった。
事情を知るナース達から「よかったですね」の暖かい言葉。
彼女達にしてみても難しい私の点滴注射には懲り懲りのハズだ。
「(私が)一時は顔色悪く生気が無かったが、近頃戻ってきた」との正直なコメントも。


7月24日
朝、心エコー検査。
この検査結果で水増加無ければ、近い内に一応退院できるだろう。
卒業試験を受けるような気持ち。

午後、手術以来初めてのシャワー。
傷のある胸・腹は石鹸泡をたてて手で撫でるだけ。
6月24日の手術後4,5日間はナースさんが温めた濡れタオルで全身を拭いてくれていた。
下半身を見られようが見られまいがもうそれどころではなかった。(そんなことを心配するような境遇ではなかった)
点滴があるうちは頭まで洗ってくれていた。


7月25日
主治医と協議の上、7月27日退院できることになった。
ナース達から「おめでとう」の言葉。
手術後の入院期間が約5週間と普通の2.5倍かかった。
ナースさん達には本当にお世話を頂いた、いくら感謝してもし足りない。
「私の命の恩人です、ありがとうございました」と会うナース毎にお礼を言った。




7月26日
朝、上の血圧がやっと100になった。
退院が決まったから改善したのか?、現金やな。
私の場合、上の血圧が100を超えないとどうしょうもないことが分かった。

体重は術前より5kg減った。(3月末の病気発覚時からは10kg減った)
筋肉は削げ落ち見る影もなく、10才は歳取った感じ。
人生初めての闘病は余りにも壮絶だ。
今後体力回復に努めたいが、暫くは走ったり泳いだりの運動はできないのは明らかだ。
定期的心臓検査は一生続く、闘病も一生続く。

この手術の患者の10年生存率は日本では90%。
合併症の多い欧米では60%しかない。
俺はいつまで生きられるだろうか?
マア、長生きはできないだろう。
医療の進歩に期待したい。

5月心臓カテーテル検査で入院した時お世話になった8階の内科医とナースステーションを訪問して手術報告とお礼を言った。
どこまでも礼儀正しい私。(・・・自分で言うのも変だが)
6階⇔8階への往復は術後初めて階段を使った、ゆっくり歩いたのにやっぱり息切れがした。


7月27日 (退院)
待ちに待った退院日。
朝、迎えに来た妻と息子と一緒に主治医の説明を聞いた。
「血圧は高くなると弊害が多いので、上が100程度と低くても日常生活に支障がなければ問題は無い、血圧上昇にこそ注意すべきだ、体重は現状維持が良い」等とのアドバイス。
心エコーの写真・動画で現在の大動脈弁と人工大動脈の様子を詳細に見せてくれた。
大動脈が細くなってスッキリした感じ。
私の命の恩人に家族で「ありがとうございました」とお礼を言った。

入院中、妻や長男一家にも大変世話になった。
また大変な思いをさせたことだろう。
二人共、思っていたよりずっと親切な人達だということがよく分かった。(#^.^#)
孫達(4才、2才)の見舞いに癒された。
まあ、ジイジの手術・闘病のことは理解できてはいないだろうが。
大手術を受けて、家族の有り難みが本当によく分かった。

心臓の状態に未だまだ不安を残す私の場合、検査外来が8月7日に決まっている、その結果によりその次の検査日が決まる。
再入院などといったことにならなければいいが。






9.手術後

2014年8月7日
検査外来でK病院へ(手術後6週間)
レントゲン、血液検査と主治医による問診。
最近の血圧は下70、上100と問題無いレベル。
レントゲンも血液検査も問題無し、従って心嚢液も異常無い。
関心のあったBNPは測定がなかったので、次回測定を依頼した。
次の検査は2週間後。

2週間分8種類の薬の処方箋をもらった。
買いに行った2つの薬局では「一部ジェネリックになりますが・・・」と言われたので、「済みません他を探します」と言って出た。
価格も安いようだしジェネリックでいいのだろうが、飲み慣れた薬の方が安心する。
処方箋の有効期間は4日間のようなので、結局ジェネリックになるのかな?


K病院は開設以来36年が経ち施設が老朽化・狭隘化していることから、同じ吹田市内に4年後移転することが決まっている。
近代化・大型化・好アクセス化して、「最先端の、その先へ」(キャッチフレーズ)を目指すようである。
その頃この病院とは検査以外関係がなくなっていますように。

退院報告を電話・メール・SNSで友人・知人にしたところ、反応には大まか三つあることが分かった。
①物理的な病気だから手術が成功すれば何も問題ない、とする楽観的反応
②医者の言うことをよく聞いて焦らずじっくり養生しなさい、という常識的反応
③合併症等への進行がない訳ではないから十分気をつけなさい、という心配性的反応
どれもその人の私の身を案じての気持ちが表れ、有り難くて涙が出そうになった。

暫くは身体を動かすのは散歩だけだが、日々回復を実感できている。
ビールもやっと美味しく飲めるようになってきた。(医者から1日1缶、休肝日週2日の制限付)
アルコールはこのひと月半一滴も飲まなかった。
身体が欲せず全く飲みたいと思わなかった。
大量の輸血の所為で体質・性格が変わってしまったのか、と一時思った程だった。




8月21日
K病院で退院後2回目の検査(手術後2ヶ月)
レントゲン、血液検査、聴診とも順調な回復が確認された。
BNPは97に急低下している。(:心臓に無理がかかると増加するホルモン、標準値は20以下だが術前600~700、術後300だったのが100を切るまでになってきた=順調)
今回処方箋は薬7種類。
次回検査は2ヶ月後。

主治医が私の了解を得て胸の傷跡を写真に撮った。
傷跡(切開)が僅か10cmしかなく、低侵襲(患者の身体的負担が少ない)手術の例としてプレゼンの材料にするらしい。
この先生はやっぱりゴッドハンドなのか・・・
傷跡が短いのは特に若い女性患者には喜ばれるようだ。

実は私は昨日まで山梨へ行って、ぶどう園のチェックをしていた。
久し振りに会った弟から、「死にそうな顔になったな」との遠慮ないコメント。
人に栽培してもらったぶどうだが、病院への感謝用に宅配便で少し送っておいたのを今日差入れた。
贈り物は受付けないのがK病院の方針らしい(そんなことは分かっていた)が、無理を言って受取ってもらった。
命の恩人達(医師・ナースの方々)に口下手な私がどうしても伝えたいほんの気持ちだった。
私のささやかな気持ちは伝わったようで嬉しかった。




10月23日
K病院で退院後3回目の検査(手術後4ヶ月)
レントゲン、血液検査、聴診とも問題無し。
レントゲン画像で 拡大していた心臓が少し小さくなったことを見せてもらった。
聴診で心雑音は聞かれない。(大動脈弁逆流レベルⅠだが)
BNPの低下を期待していたが、時間内に検査結果が出てこなかった。⇒次回チェック
次回検査は2ヶ月後(手術後6ヶ月)で、退院後初めて心エコー検査もある。

今回、手術時の輸血から3ヶ月以上(感染症菌の潜伏期間)が経過したので輸血後感染症検査(血液検査)もあった。
この検査の結果判明には2週間を要し、ウィルス性肝炎やHIV感染症の異常があれば通知される。
異常があるケースは殆んど無いらしい。(全国で年に十数件)
私は献血マニアだったが、輸血を受けた人の献血は拒否されるため、もう”愛の献血”はできない。
未知のウィルス感染の恐れを防止するためらしい。

処方箋は薬5種類(強心剤1、心不全改善薬1、降圧剤1、利尿降圧剤2)になり2薬減った。
やっとワーファリン(抗血栓剤)がなくなった。
ワーファリンは納豆(ビタミンK)と禁忌があり(納豆がワーファリン効果を減ずる)、服用中は納豆は禁じられていたが、これで納豆が食べられる。
(一生ワーファリンを服用しなければならない機械弁置換の場合は一生納豆は食べられない)

胸骨の痛みは完全になくなった。
私:「もう走ってもいいですか?」
主治医:「もう暫く止めとく方がいいでしょう」、との慎重なお言葉。
利尿剤で身体の水分を落として、なおかつランニングで汗をかくのは良くないのかな?
「散歩は制限無し」
最近の血圧は下70台、上110台。
体重は病気発覚前の水準に戻ってしまった。(アカンな)




11月22日
先日 心臓病手術経験者のブログに閃輝暗点(せんきあんてん)のことが書かれていた。
多くの心臓病手術経験者から「このことを経験している」というコメントが寄せられていた。
私としては初めて聞く言葉だが、Wikipediaで調べてみると、私にも起こっている症状だった。
軽い貧血かなと思って気にしなかったが、名前まである症状だったんだ。
この症状は心臓病と関係あるのだろうか?
Wikipedia:閃輝暗点
視覚に現れる症状 → [Wikipediaから転載]
私の場合手術前(たしか1~2年前)から年に2~3回程このキラキラするギザギザが左目の視覚に突然現れ、1分程で消え頭痛は伴わない。
視覚が全く損なわれるのではなく、上図の黒い部分には普通の映像が残る。
「頭痛を伴わない場合は稀に脳梗塞等が原因の可能性がある」と、Wikipediaにある。
私は度重なるCTやMRI検査で脳血管の異常は発見されていない。
「チョコレートやワインの飲食でなり易い」ともある。
これらは私の好物ではないか、セーブしよう。
車やバイクの運転中に起こると危ないな。
直ぐ端に停車して休めばいいか・・・。

心臓手術経験者のブログは結構ある。
貴重な体験が書かれていて、心臓病認識歴僅か8ヶ月の私としてはとても参考になり有難い。
心臓病仲間(手術体験者他)の集い なんかも開催されていているようだ。
今度あったら参加を申し込んでみよう。
色々な体験談が聞けることだろう。


11月28日
心臓リハビリ(運動療法、初回)のためサイクリング。
該当サブページ(2014年趣味)記事へ → サイクリング

→このサイクリングで最大心拍数160を計測した。
 その後ネットで調べてみると、『最大心拍数目安=220-年令』 とある。
 ということは私の場合、目安は156ではないか。
 健常者でもないのに160まで上げてしまったのはマズかったナ。




12月25日
K病院で退院後4回目の検査(手術後6ヶ月)
今回はレントゲンや血液検査はなく、心エコーと聴診のみ。
聴診時、心エコーの詳細結果データは未だ出ていなかったが、主治医は私に心エコー動画を見せて「AR(大動脈弁閉鎖不全)レベル1.5」と言った。
レベルⅠと思っていたのに少し悪化してしまった。・・・ガクッ
マア、問題のある自己弁を温存したのだからしょうがない。勿論、温存のメリットは大きい。
「ランニングしてもいいが本気でやらないように」とのお言葉。つまり、「マラソンには出るな」、ということ。
それもしょうがないナ。
心臓リハビリのためのサイクリングで心拍数160まで上げて限界を感じた、ことを話すと、「それ以上は追求しないように」とのこと。

心臓病仲間のブログに、心エコー検査結果プリントを入手できる、ことが書かれていたので、主治医に依頼すると、「患者の素人判断は困るので、そういうことにはお応えしない」とキッパリと断られてしまった。
このことは病院のカルテ開示義務(患者のカルテ閲覧権)とも関連することで、患者としては権利のあることであろう・・・
デモ、大先生の言葉だからこれもしょうがないナ。

前回(10/23)のBNP値を聞いたら、58だった。(改善)
処方薬は5種類から4種類になった。(強心剤1、心不全改善薬1、降圧剤1、利尿降圧剤1)
次回検査は2ヶ月後。

実は、私は11月上旬ネットで偶然、「厚生年金保険障害者特例」なる措置があることを発見した。
障害年金制度は非常に複雑で難解だが、関連資料を熟読すると、『心疾患の場合、人工動脈を挿入し、軽度の症状がある(健常者と全く同等の労作(労働)が出来ない)場合は、年金上(障害者手帳制度とは別物)の障害3級に該当し、障害年金が特別支給される』、と読める。
参考資料年金保険障害認定基準
これには請求書と診断書が必要なため、日本年金機構甲府事務所に相談し用紙を調達の上、わざわざ山梨⇔関西を往復し、11/11K病院に診断書を依頼、12/8年金機構に提出した。
ところが、診断書は現症日から1ヶ月以内のもの、という規定のため却下されてしまった。(熟読が足りなかった、アホ!)
K病院は大病院だから、診断書を書くだけで3週間もかかったため、私は10/23(前回検査)現症日の診断書を12/6やっと入手し、12/8に提出、そして不受理になってしまったのである。

年金機構もK病院も国の機関だからお堅い、堅すぎる!
それだから信用もできるのだが・・・
今日、主治医にその事を話すと、「10/23と12/25の症状(『軽度の症状がある』)は同じだから、却下された診断書の現症日等日付を訂正する」(してくれる)という。
但し、超繁忙(手術ばっかやっている)な主治医は診断書にはタッチせず部下の外科医が書いているので、「文書受付にそのことをよく話して欲しい」とのこと。
早速、文書受付のクラークに主治医の言を伝え、診断書の訂正を依頼すると、即行動してくれて、訂正印だらけの診断書を返してくれた。

この診断書・請求書による障害特例年金の支給は年金機構の受付日基準のため、私は即日最寄りの年金機構吹田事務所に行き、提出した。
応対してくれた担当官は、診断書に添付されている心電図の日付が6/20であり、レントゲンの日付が10/23であることに疑義を呈し、「機構本部(東京)と相談する」と答えた。
しかし、私のように、「大動脈基部拡張症により大動脈置換術が施された場合、あとは『軽度の症状がある』ことだけで、厚生年金保険障害者特例3級該当の十分条件であるように読めます」、と主張し、受理してもらった。
この辺りの私の知識は”玄人はだし”である。
勿論、判断は機構本部の判定官に任される。
判定には2~3ヶ月かかるらしい。
果たしてどうなることか・・・、また早とちりだったりして・・・
マア、支給額は月数万で65才までだから、たいしたことはないのだが・・・

[年金手帳と受給者]


2015年1月29日
今年も山梨市の健康診断を受けた。
昨年この健診で『心雑音』を指摘されたのが事の始まりだった。
肌着をを上げて胸を出すと、手術の傷跡が目立つ。
聴診の内科医は昨年の先生とは違ったが、私は 「去年この健診で心雑音を見つけてもらって命拾いをしました」 と説明した。
命の恩人だから会いたかった。
「今 心雑音はしませんよ」 と言われ、安心した。

健診結果の連絡が来るまで1ヶ月程要する。
たぶん全く問題無い内容だろう。 → 1ヶ月後の結果レポートによると、1年前は正常だった中性脂肪とLDL(悪玉)コレステロールが基準値をオーバーしている。
でも、毎日心臓リハビリのサイクリングをしてみて、心臓の調子はよくないのが分かる。
心拍100を超える辺りで胸苦しくなる。
散歩に毛が生えた程度の運動なのに・・・
冬で寒いからだろうか?
それとも先月サイクリングで心拍160まで上げたのがマズかったのか?
そうだとすればあまりにも調子がよかったので、やり過ぎてしまったのか?
過ぎたるは及ばざるが如し。
走ったり泳いだりする気には未だなれない。
温存自己大動脈弁を大事にしないといけないな。

[健診車]


2月20日
最近手首式血圧計を買った。
血圧は既に持っている上腕式で毎日測って記録している。
手首式は上腕式のように上着を脱ぐ必要がないし、小型だから外出先にも持って行き易い。
試しに両方で何回も測って測定値を比べてみると、手首式の方が最高血圧で10~20、最低血圧で5~10高く出ることが分かった。
どちらを信用したらいいのだろう?
ネットで調べてみると、手首式は精度が劣るらしい。
折角買ったのに・・・




2月26日
K病院で退院後5回目の検査(手術後8ヶ月)
検査と言っても今日は主治医の聴診だけ。
前回(12/25)の心エコー検査詳細データにより、主治医は「AR(大動脈弁閉鎖不全)レベル モデレートⅡ」と言った。
つまり前回暫定的に言った1.5より悪い。
段々悪くなっていくようで不安だが、「心音はいいし、心配することはないでしょう」、とも言った。
しかし、もしもレベルⅢを超えるようなことになると、『大動脈弁置換の検討』は暗黙の了解である。
手術後1年も経っていないのにそんな心配をするのは嫌だ!
QOLもあるが心臓の一層のケアに心がけるしかないな。

今回処方薬は変更なし。(4種類)
次回検査は4ヶ月後(手術後1年)で心エコーもやる。

健保から送られてくる『医療費のお知らせ』(健保負担額、個人負担額)や、入院時の個室個人負担額、等を総計してみると、私のこの心臓手術に要した額は7.1百万にも上っている。(デイビッド手術と心嚢ドレナージ手術と手術を2回もし、入院期間も普通の2.5倍かかったが、当初の個人的予想には近い額)
ありがたいことに高額医療費の限度額認定制度により、個人負担は総額の1割にも満たない。
その分山梨市の健保財政に大きな負担をかけてしまった。(申し訳ない)
もし、もう一回手術なんてことになりにでもしたら山梨市の健保担当に合わす顔はない・・・、そうなったら(おそらく)財政上豊かな川西市へ住民票を移そう・・・
まあ、私の場合、健保にお世話になったのは、この手術以外では人間ドック、歯医者くらいだから、1回や2回の心臓手術をしても私の出超ではある。(おそらく)

K病院の帰りに遠回りして、梅田の大阪ステーションシネマで映画を2本を見た。(シニア料金)
『アメリカン・スナイパー』と『エクソダス:神と王』
エクソダスとは旧約聖書のモーゼの出エジプトのことで、この映画ではラメセス王が絡んでいる。
両方の映画とも面白かった。
昔からの慣わしでワインのミニボトルを持ち込んで飲みながら見たが、2本も見たのにたった250mlが飲みきれなかった。
心臓リハビリで節酒している所為で酒がすっかり弱くなった。




4月14日
先日、日本年金機構から年金支給額変更通知書が届いた。
これは私が昨年12月25日機構に診断書付きで提出していた『特別支給の老齢厚生年金受給権者障害者特例請求書』(長い名前だなー)に対する返答だった。
私の請求は認められ厚生年金保険障害者特例により障害年金が特別支給されることが決定した。
つまり私の場合、心疾患により年金上の障害者3級に列せられることになった。
機構の審査に約4ヶ月もかかったが、私の障害年金の読解は正しかった。


心臓手術経験者のブログに、昭和36年に27才の若さで亡くなった心臓弁膜症患者の闘病記 『闇にあっても光を』(関茂子)が紹介されていたので買って読んでみた。
私が自分の心臓病に気づかされる前であれば、関心すら示さなかった本であろうが、大いなる興味を持って遅読な私が短期間で読み終えた。
筆者は幼少から心臓病に患い、心臓手術はリスクが高く選択できなかった時代に、絶望に直面しながらも前向きに生きた手記には感動した。
私は同じ心臓病の経験から死を意識した闘病は分かる気がした。
私の場合は医療技術の発達により究極の心臓手術をいとも簡単に選択できたが、それができず長い恐怖と絶望との闘いを強いられた彼女や、今も強いられている不治の病の人々のことが思いやられた。




6月11日
先週6/4にK病院(国循(国立循環器病研究センター))で手術後1年の心エコーと血液検査を受けた。
今週6/11はその結果を主治医から聞く日だった。
ブドウが忙しいので、2週連続で山梨⇔大阪の病院通い。
主治医は、「大動脈弁逆流の悪化はない」と言った。
前回(12/25)の心エコー検査では、弁逆流レベルが悪くなっていたので心配だったが、正直ホッとした。
主治医も「ホッとした」とのこと。

BNPは75でこちらは少し悪化した。(前回58)
主治医:「それぐらいの悪化は気にしなくていい」
弁逆流があるのだから平常値の20以下にはならないのだろう。

処方薬は強心剤がなくなって3薬(心不全改善薬1、降圧剤1、利尿降圧剤1)となった。
次回検査は3ヶ月後。


6月20日
『(元)心臓病仲間の集まり』(第十回)が横浜で開催され参加した。
私はこのことを心臓病経験者(会の主催者)のブログで知り初参加したもので、心臓病認識歴僅か15ヶ月の私としては出席者の経験談が参考になり有難かった。
複数個の人工弁置換者、複数回の弁置換者、複数回の心臓手術経験者、等々がおられ、元気に予後を過ごされていることがとても頼もしく思われた。
私も心臓手術2回(デイビッド手術心嚢ドレナージ手術)の経験者ではある・・・

中には、術後、全国空手選手権形の部で2位に輝いた猛者もいたり、スキューバダイビング、フットサル、スキーを楽しんでいる人々もいた。
20人の出席者の内3人は術前の女性で、不安の中にも経験談を聞いて手術を受ける決意を新たにしたようだった。
手術創の話題になった時、私の創傷を服を上げて披露したところ、僅か10cmで大手術がなされたことに皆驚いていた。

二次会には中華街へ繰り出して、体験談は尽きることがなかった。
本場中華料理は元より久し振りの紹興酒も美味かった。
とても楽しい会だった。
皆様ありがとうございました。




9月24日
前回から3ヶ月後検診。
主治医(執刀医)による面談と聴診だけ。
私:「体調は順調で日常生活は何も問題ないです。降圧剤(処方薬3剤)の所為か走ったり泳いだりはする気には未だなれないです。」
主治医:「心雑音がする。処方薬3剤は一生です。」
私:(心の中で)『(ガーン)・・・ヤッパリな、先生の高性能聴診器では心雑音が聞こえるんだ。降圧剤を一生飲み続けるということは、現状(いつも貧血気味)より体調が改善することはないんだ。』
主治医はいつものように私の驚く程短い手術創傷を定規で測って写真をパチリ。「傷が癒えて更に短くなっていますね。」
次回の検診は3ヶ月後で心エコーもやる。

今回の検診はシルバーウイーク明けということで、9/22の甲府→大阪の高速バスは満席で乗れなかった。(いつもはガラガラなのに)
そこでJRを利用した。
葡萄シーズンなので、私が一から育てたシャインマスカットとピオーネをお世話になった外科医チームとナースステーションに差し入れた。
『贈り物は受け取らない』の病院の方針に反するが、これくらいの患者の気持ち(何しろ患者が育てた葡萄)は受取ってもらえる。
命を助けてもらったので、本当は全財産(僅かばかり)をあげてもイイくらいのキモチなのだが・・・(^_^;)(センセイ達は高給取りだけど)
ナースは殆んど入れ替わっていたり、当直ではなかったり。
美人で優しいみんなに会いたかったのに・・・
でも、患者にとっては命の恩人・白衣の天使でも、彼女・彼等からすれば、毎月何十人も入れ替わる手術患者ということで、記憶には残っていないだろうな。




10月14日
先日(10/11)大学時代の柔道部先輩からクラシックバイク3台を頂いた時、この医学部卒呼吸器外科医(勤務医)の先輩からご自宅で聴診と心電計測をしてもらった。
やっぱり心雑音を指摘された。
知らなかったが心電図は携帯心電計というのがあって簡単に計測できる。
こちらも不整脈(期外収縮)が検出された。(ヤッパリな)

私もネットで買った自分の聴診器で自己聴診はしているものの、注意して聞くと『心雑音が僅かに聞こえるかな』、といった程度のレベルだ。
何しろ健全な心音を聞く機会が殆んどないので比較しようがないから、心雑音がよく分からない。
手術前の大動脈弁逆流レベルⅢorⅣの時は「ザーザー」とよく分かったが、現在のレベルⅡマイナスだと分かり難い。

心肺機能の異常をチェックする血中酸素濃度計というのもある。
携帯心電計と血中酸素濃度計を購入すると計6万になるが、すぐに買いたくなった。
でもよく考えてみると、心電図波形をみても私には全く分からない。
毎日血圧を測っている血圧計には不整脈検出機能があって時々検出されている。
一方、私の血中酸素濃度は手術前後で全く正常で問題がなかった。
私は血液検査ではいつも、赤血球数、ヘモグロビン濃度、ヘマトクリット値(血液量に対する赤血球容積割合)、とも正常の上限に近い。(=健全)
心肺の酸素交換機能は正常だ。(たぶん)

冷静によく検討すると二つの機器とも必要ないな。
年1回の健康診断時に心電図をやっているし、3ヶ月毎のK病院の検診もあるし、毎日自分で血圧を測っていて不整脈も検出できるし。
サイクリング時に心拍に不安を感じている私としては、むしろ腕時計型心拍計を買おう。

[携帯心電計]

[血中酸素濃度計]

[腕時計型心拍計]


12月24日
K病院で3ヶ月毎検診。
心エコーと主治医の面談・聴診。
心エコー検査によると温存大動脈弁の逆流(閉鎖不全)レベルの悪化はなかった。ホッ
でも、改善することはないので、ランニング・水泳は自粛状態。
11月は試しに高尾山へ登ってみたが、息切れがして普通の人の倍時間がかかった上、あと少しの所で頂上を諦めた。(下りさえ時間がかかるため)
これじゃーとてもじゃないけど日本アルプスは無理だろう。
QOLが落ちている。
先日、ブドウ園の近所で内科を開業している高校同級生の医院で肺炎球菌ワクチン接種(65才で補助がある)を受けた時、その友人医師からも心雑音を指摘された。

私:「私の温存大動脈弁はどれ位持ちそうですか?」
主治医:「何とも言えないが、数年すれば弁置換は殆んどカテーテルでやる時代になっているでしょうから楽ですよ」
K病院が無料で発行している『循環器病あれこれ』の最新113号にもそのことが載っている。
TAVI(タビ)というステントでやる手術で、2013年10月以降保険適用(大動脈弁狭窄症のみ?)も認められ、K病院でももう110例程が実施されているという。
医療の進歩は目覚しい、正に日進月歩だ。

先ごろ終わったTVドラマ『下町ロケット』で、主人公の中小企業が心臓の人工弁開発もする物語が描かれていた。
開発品の患者への採用について、安全性重視か必要性重視かの壮大なテーマが問われていた。
現状、死を待つしかない重症患者にとって、開発途上品でもリスク覚悟の上で使うのか否かが問われ、自分の場合であればどうだろうと大いに考えさせられた。
ドラマの中で、「日本製の人工弁は未だない」事実が言われていた。
TAVIも現状全て外国製品のようだ。
一方、内視鏡医療カメラ等日本の独壇場の分野もある。
日本が本気でやりだすと細かい改良がなされいい物が作り出される。
日本の技術にも大いに期待したい。
デモ、どうか要弁置換の状態に悪化しませんように!m(_ _)m

[カテーテル大動脈生体弁2種類:K病院HPから]


2016年3月8日
山梨市の健康講演会に参加。
演題は『生活習慣』だったが、興味があったのは、血液サラサラ度チェックと血管年令チェックを無料でしてくれることだった。
平日(火)だし、健康テーマだからシニアが多い。
結果は、
血液サラサラ度:普通
血管年令:63才(実年令65才)
だった。
血液サラサラ度には昔から自信があったのに・・・
運動不足の影響だな。















3月12日
今年1月28日に山梨市が実施した健康診断を受けたところ、バリウムによる胃の検査で、「幽門変形の疑いがあるので胃カメラ検査を受けるように」 とのことだった。
本日、胃カメラ検査を受けたところ、「異常無し」 だった。
マア、私の場合、心臓には問題があっても、消化器には自信がある。(何しろ食欲が旺盛だから)
胃カメラ検査は何回も受けているが、胃の中でカメラが動くのが分かり、正直言って苦痛だ。
2年前受けた心臓カテーテル検査でも、心臓の中でカテーテルの動くのが感じられたような気がして、苦痛だった。
カテーテル検査は死に直結するリスク(2,000分の1)があるが、胃カメラは苦痛でもインフォームドコンセントはないから、リスクは勿論無いのだろう。
今年の健診では、身長が縮んで(歳は取りたくない)体重と腹囲が増えて、BMIが25を突破してしまった。
それ以外は問題は無かった。




3月31日
K病院で3ヶ月毎の受診。
主治医が別用のため、若い心臓大動脈外科医が面談・聴診してくれた。
この先生は私の心嚢ドレナージ手術を担当してくれた医師だ。
私:「心タンポナーデではお世話になりました」
先生:「よく覚えていますねー」
私:「あの時の外科医チームのご恩は一生忘れませんよ」
退院から1年8ヶ月の間に処方薬の飲み忘れが20日分あるので、今回の処方箋で調節してもらった。


6月18日
『(元)心臓病仲間の集まり』(第十二回)に参加。
今回も皆さんの心臓手術体験談が聞けて有意義だった。
術前参加者は1名だった。
「心臓手術恐れるに足りず」と元気を得てくれたら会の主旨にかなうのだろう。


横浜 港が見える丘公園で開催された

私の参加は2回目、実家のサクランボを差入れ

お元気な皆さん

中華街で二次会






























7月28日
K病院で3ヶ月毎の受診。
今回も若い先生で開口一番、「M主治医は母校京大の教授に転出されました」、とのこと。
「へー、それはおめでとうございます」と、私。
もう会えないのは残念だが、ご栄転だからしょうがない。
本当にお世話になりありがとうございました、京大病院でもゴッドハンドでご活躍ください。

お陰様で私の心臓は順調だ。
手術から2年が経ち、就寝時の動悸も殆んどしなくなってきた。
おそらく拡大していた心臓がだんだん小さくなってきたのだろう。
一生飲む処方薬も身体に馴染んできたようだ。
ハイキングも人並みにできるようになってきたし。
そろそろ走ってみようかな?(2年半全く走っていない)

次回は心エコー検査をやってもらう。


10月28日
K病院で3ヶ月毎の受診。
心エコー検査とその結果に基づく問診。

問診の順番を待っている時、隣の女性患者と雑談。
彼女は我々の執刀医(主治医)M先生が京大に栄転したことを知らなかった。
「ここにいる人達(元心臓病重症患者)は皆M先生に命を助けて頂いたのに・・・」と言っていた。その通りだ。
医者は患者にとって偉大で、神に近い。尊敬される職業だとつくづく思った。

私の心エコーの結果は、「AR(大動脈弁閉鎖不全)悪化なし」とのもの。
近頃、自分の聴診器で聞く心音にハッキリと雑音が混ざっているので心配していたが、先ずは安心した。
先生(新主治医)に聞くと、「デイビッド手術(自己弁温存大動脈基部置換術)をした患者は、心雑音が強くなることがあるが、ARの悪化がなければ問題はない」、とのこと。

次回はCTスキャンをやってもらう。

今年も私が育てたブドウを先生とナースステーションに差し入れた。
ナースステーションでは退院後初めて、大変お世話になった担当ナースの1人と会えた。
私:「私を覚えてますかねー?」
彼:「覚えてますよ。昨年も美味しいブドウ頂きました」
普通の患者の2.5倍の5週間も入院してたのだから、覚えているのだろう。
改めて、「その節は大変お世話になりありがとうございました」
他にも、今日は非番だがお世話になったナースさんが2、3人当該ナースステーションに残ったり戻ったりしているようだ。
たとえ全くいなくなっていても、ナースさんの患者への献身的行為に感謝する意味で、私としては気持ちを表したかったのだ。

先日、床屋でたまたま読んだ週刊誌に私が処方されている薬3剤の内の降圧剤ブロプレスのジェネリック薬の記事が載っていた。
記事によると、そのジェネリックは強過ぎて目眩を引き起こす、と書いてあった。
私はそのジェネリックをいつも使っていて(薬局にブロプレスがない)、目眩を時々感ずる。
今日も血圧は上が99だった。
今日はジェネリックでないブロプレスを求めて結局5薬局も回った。
果たしてブロプレス(ジェネリックより薬価4倍)で改善はあるのだろうか?




2017年2月9日
3ヵ月毎検診で退院後初めて胸腹部大動脈CTスキャンをやってもらった。(2年7か月振り)
CT検査自体は数分で終わった。
20分後CT検査データにより主治医(I先生)問診。
先生:「弓部大動脈基部に拡張が見られる。手術直後は径37mmだったが今回は42mm。60mmを超えたら置換が必要になります。」
外科医は感情を挟まずクールに言うので、シリアス度合いが分からない。
私:「そうですか・・・」
先生はCT画像を見せて説明してくれた。
大動脈基部は既にポリエステル人工大動脈に8cm置換されているのでスマートだが、その上の弓部基部が確かに少し人工大動脈より太くなっている。
術直後の画像と比べるとよく分かる。
先生:「今日のデータを精査して、特別事項があったら電話します。」
私:「お願いします。」

鈍感な私は先生の言ったことが咀嚼できなかったが、帰路よく考えればかなりシリアスではないか。(ガーン)
弓部大動脈と言えば脳への動脈が3本分岐している部分だ。
ここの置換術などということになれば、私が受けた自己弁温存大動脈基部置換術(デイビッド手術)以上の難しい危険な手術だろうというのは想像がつく。
約3年で5mm拡張したこのペースが続けば、あと9年で手術だ。
大動脈基部拡張症の時もそうだったが、今回も瘤にはなってはいないで全体が太くなっている感じ。
瘤よりマシな気がするが・・・
大動脈が拡張し易いというのは体質か?加齢か?
物理的に考えると、おそらく拡張した心臓の血液吐出量の影響が大なのだろう。
処方薬のお陰で血圧は低位正常に保たれてはいるが。
やや心配していたが、「サウナはOKです」と先生に言われた。
俺はペシミストでやっぱり心配し過ぎなのか?(妻が言うように)

いつものように回り道をして大阪ステーションシネマで映画を観た。
どうしても観たかった遠藤周作原作の『沈黙』。
江戸時代のキリスト教弾圧を題材にした凄惨なストーリーだ。
でも映画は原作より無慈悲度合いがマシな気がした。
神は弾圧(拷問・殺戮)に沈黙していたのではなく、パードレ(神父)・信徒と一緒に耐えていたのだ、というエンディング。
時間が合わなかったのでその前にもう一本、『Don't breathe』。
こちらは悪同士のホラーサスペンス。
見物層は殆んどが若いカップルか女性グループ。
オッサンが一人で来ているのは私だけという感じ。
両悪とも生き延びるという”新鮮な”エンディングだった。
一方、善良な私には試練が続く?




5月18日
3ヵ月毎の主治医問診。
聴診と処方箋発行だけだから2、3分で終わる。
一方、私が要する山梨別宅からの交通は高速バス・電車で往復20時間、3万円。
私の場合、デイビッド手術(自己弁温存大動脈基部置換術)という事例の少ない方法だったので、主治医(心臓大動脈外科)としても予後を見極めたいから地元の医者に任せないのだろう。
最初の循環器内科の先生の説明では、「大動脈弁置換術の術後半年以降は紹介状により地元医に任せる」と言っていたのだが・・・
処方箋は90日分しか書けないから、3か月毎に通うことになる。

次回は心エコーもやる。


8月24日

前回主治医は、「次回は心エコーをやる」と言っていたが、心エコーの予約はなかった。
「私、山梨から遥々出て来たんだけんどー・・・」、と受付のクラークにわざと甲州弁で言ってみたけどしょうがない。
先生(主治医)の予約忘れだろう。
聴診&処方箋発行とブドウ談義。
マア、予後順調ということなんだろう。


次回の心エコー予約を確認。


10月16日

笛吹市が9月8日実施した健康診断の結果を市役所で受け取った。
問題がないと郵送されてくるが、私の場合問題
あって呼び出されたもの。
保健師から、腎機能を見るクレアチニンとeGFRが標準値範囲から少しはずれていることを指摘され、BMIも同様のことから、6ヶ月後の改善目標値が設定された。

飲食・軽い運動によりストイックに改善してみよう。
健診時、心雑音が指摘されたが、私の胸の手術創を見た先生は、私の説明により納得した。


 [市役所からもらったランチョンマット]
 

11月16日
K病院で1年振りの心エコー検査。
始めに検査技師から、検査に研修生を同席させる可否を尋ねられたので、「勿論OKです」と返答。
人材育成に少しでも貢献できるものなら幸いである。
検査技師は研修生に、電子カルテを見ながら私がデイビッド手術を受けていることを説明していた。
検査技師:「不整脈が現れていますが頻度は多いのですか?」
私:「自分で血圧測定する時に時々現れます」
脈が跳ぶ不整脈で悪性のものではない(たぶん)。(:自己判断)
検査技師が研修生に専門用語を使って時々コメントしている。残念ながら私には意味が分からない。
いつも通り60分かかった入念な検査だった。(一般的には30分らしい)
私:「大動脈弁逆流レベルはいくつですか?」
検査技師:「Ⅱです」
今迄、私がいくら尋ねても検査技師(毎回替わる)は明確に言わず、「主治医に聞いて欲しい」と言っていたが、今日は断定した。
去年の「Ⅱマイナス」から悪化している。
主治医問診の時、主治医に尋ねると、「悪化とは言わない」とのこと。
主治医が患者へ気休めで言うことはないだろうから信用しよう。
再手術に近づくレベルⅢにはなりたくない。


12月9日
横浜で開催された『(元)心臓病仲間の集まり』(第十四回)に参加。(私としては3回目)
心臓病とその手術経験者などは、当然のことながら身近にいるわけもなく、こういった催しは私には非常に貴重な機会だ。
昔の言葉で言うと、”オフ会”に該当するのだろう。
主治医といえども心臓病を体験しているわけではないので、主治医も応えられない(元)患者の生の声を交換できるというのは実に有意義だ。
中華街レストランでの二次会交歓会も楽しい。
幹事の皆様にいつも謝々。


大桟橋には豪華客船が停泊していた

ベイブリッジと薔薇

皆さん

港が見える丘公園のイルミネーション



























2018年2月14日
昨秋の笛吹市健診において、腎機能に問題があることを指摘されていて(クレアチニン、eGFR値)、今日、市による再検査とアドバイスを受けた。
私は、大した問題ではない、と高を括っていたが、判定はDでA~Eの内悪い方から2番目のシリアスな問題だった。
「更に進めば、腎不全・人工透析という重大症状になることもある」、と脅された。
腎機能障害を指摘されたのは人生初めてなので、よく考えると、心臓病で処方されている3剤の内の一つ利尿降圧剤トリクロルメチアジド錠の影響(副作用)ではないか?、と思い当たった。
この薬は心臓手術以来3年8カ月飲み続けている。
薬の注意書きに、腎臓疾患との関係が書いてある。
来週はK病院(国立循環器病研究センター)で主治医問診があるので、相談してみよう。


2月22日
K病院で主治医問診。
今回も「不整脈が出ています」、とのこと。
私:「心房細動ですか?」
主治医:「そうではなく脈が跳ぶ方です。」
私:「市の健診でクレアチニンとeGFRがA~E内のD判定でした。利尿剤トリクロルメチアジドの副作用の所為ですか?」
と市の検査値を見せて尋ねてみた。
主治医:「この位の値であれば許容範囲内です。急に値が悪くなっている訳ではありません。」
と心臓手術以来の私の腎機能過去データを電子カルテから見せてくれた。
主治医:「心拡大があるので、心機能を正常に保つため、利尿剤トリクロルメチアジド(1mg)は必要不可欠です。心機能が衰えれば腎機能は悪化するので、心機能が優先されます。」とのニュアンスを分かり易く説明してくれた。
私:「血圧が日ごろ上100前後下60前後と低く(今日は105、58)、時に貧血や閃輝暗点も現れ、自動車の高速道運転が不安です。」
主治医:「今回、降圧剤ブロプレスを濃度を下げて(4→2mg)様子をみましょう。」
(もう一つの処方降圧剤はメインテート0.625mg)

次回は血液検査と心電図をやってもらう。

病院のロビーの一角で偶々『本当は怖いコレステロールのお話』というレクチャーをやっていたので最前列で聴講。
私は心臓病発覚以来、循環器系の知識はかなり蓄えてきたので、これは入門編だな、と思った。
偉そうに思う割にはBMIと腹囲が標準値を越えているが・・・(笑)




2月28日
笛吹市が開催した腎臓病予防教室に参加。
健診で腎機能に問題有りと判定された人々が集められた。
講師は山梨大学医学部附属病院内科の先生。
腎臓病の知識が薄い私にはとてもいい勉強になった。
質疑応答の時、私は「利尿降圧剤の服用で腎機能が低下する副作用は起こり得ますか?」、と質問してみた。
先生:「あり得ますが、医師が処方する理由と方針がある訳だから、主治医に尋ねてみて指示に従わなければいけません。」
多少の副作用はあり得るようだ。

市の保健師から私に、開業医による腎機能検査・診察をしてもらうように、との再督促があった。
近日中に山梨市の高校同級生だった内科医にやってもらおう。

[腎臓病予防教室]


5月15日
3月友人内科医に診察・検査してもらった腎機能診断でも笛吹市検査同様の結果であったので、「腎臓薬を処方するから飲み始めた方がよい」と言われてしまった。
私は「食事・飲酒等を改善してみて半年後の検査で判断する」という提案をし、了承してもらった。
ダイエット&節酒に1.5ヵ月努めたところ、4/25の市による特別検診の結果を5/15呼び出されて聞かされた。
僅かの期間であったにも係わらず、BMI、腹囲、中性脂肪、コレステロール、等々数値の改善が見られた。
”メタボ”の範疇は脱したので、市の保健師から褒められた。(^^)/
でも肝心のクレアチニン、eGFR、尿酸の数値の記載が無い。Why?
マア、この傾向を続ければ秋の健診で腎機能も回復に向かうだろう。
(希望的観測?)


5月24日
K病院で検診 : 心電図、血液検査、主治医問診。
心電図ではいつも不整脈が散見されている。
血液検査では久し振りにBNP値が測られ136だった。(3年前の75から悪化)
時々プールで1~1.5km泳ぐのが心臓によくないのか?
先生は、「心臓リハビリ程度のゆっくりであれば問題はない」とのこと。(毎回同じことを聞き、同じ答え (笑))

腎機能を見るクレアチニン、eGFRは笛吹市検査値より少し改善していたが、標準値からは依然として外れていた。
K病院(国立循環器病研究センター)が関わる循環器病解説シリーズ『知っておきたい循環器病あれこれ』の最新号は、『心臓と腎臓の深い関係』(127号)で心腎連関症候群が、『心臓リハビリテーション』(128号)ではリハビリの目的・内容・効果が特集されている。
昨今の私の最大関心事がタイミング良く最新の研究レベルで分かり易く解説されていて、いい勉強になる。


6月24日
4年前の今日が私の心臓手術日だった。(デイビッド手術:自己弁温存大動脈基部置換術)
あの時、体温を20℃に下げられ心臓を4時間止められ、脳血流は20分止められて手術には15時間かかった。
心臓が止まるということ、脳血流が止まるということが、あの時見た不思議な夢で今でも何となく分かる気がする。
今こうして日常生活に支障なく生きていられるのは、手術チームやK病院関係者のお陰であると心から感謝している。

デイビッド手術の件数は少ないから、ネットのオンでもオフでも同じ手術患者に未だ会ったことがない。
体験談を交換したいのに・・・
デイビッド手術での10年生存率は世界的には6割と言われている。
私はあと何年生きられるだろうか?
残り人生有意義に生きたいものだ。

あの時、サッカーワールドカップ20回ブラジル大会が開催されていた。
4年後の今、21回ロシア大会が開催されていて、4年経ったことが何より実感できている。
あの時負けたコロンビアには今回勝った。今回は予選リーグを突破できるのだろうか?


手術前の私の大動脈。(CTスキャン図と思われる)
主治医が電子カルテから見せてくれた。

基部(バルサルバ洞とその上)が拡大しているのが分かる。
そのためもあって大動脈弁は閉鎖不全を起こしていた。





手術後の大動脈。
大動脈弁の直ぐ上の基部8cmがポリエステルの人工大動脈に置換された。(細くなってスッキリしている)
冠動脈2本はそれに繋ぎ直された。







現在の手術創傷
僅か10cmの切開で行われた。
私が頼んだ訳ではないが、低侵襲手術が施された。
右胸部に肺ドレインの創傷一つ。
腹部には腹部ドレインの創傷二つ。






8月16日
K病院で3ヵ月毎の主治医問診、処方箋発行。
最近、最高血圧が以前の100前後から120台に上昇している。
降圧剤ブロプレスの処方濃度を前々回2月に半減させたのが影響している。
(前回5月には同じ降圧剤メインテートの濃度は倍増されたが)
主治医: 「このままもう暫く様子を見ましょう。」
私としては、最高血圧は100より120の方がしっくりくる気がする。

次回は心エコー、血液検査も実施。
私の場合、大動脈弁閉鎖不全が残っているので、年1回の心エコーは欠かせない。


11月15日
K病院で心エコー検査、血液検査、主治医問診。
<特記事項(備忘録)>
・大動脈弁逆流レベルⅡ(前回と同じ)
・BNP67(前回136から改善)
・eGFR46.5(腎機能前回50.6から悪化)
・最近最高血圧が120~130台に上昇していることから、今回降圧剤ブロプレスの濃度を倍増した(元に戻した)
・降圧整脈剤メインテートは5月濃度倍増したことから、平常時の脈が現在50台と低い
 主治医:「脈が低いと心エコーで逆流は高目に表れるが、脈を低く抑えておくことで再手術の場合はやり易くなる」
・〃:「大動脈弁閉鎖不全症手術をカテーテルでTAVIのようにやる技術開発と承認には、最低あと数年は要すだろう。日本は承認が慎重で遅い」
・〃:「風邪は弁膜症に良くない。風邪を引かないように気をつけたし」
 そういえば私の場合5年前の今頃、咳の出る重い風邪を1カ月近く引いていた。それから心臓の調子が悪くなったような気がする。
・〃:「弓部大動脈径検査のため、CTスキャンを5月に行う」

今回も私が育てたシャインマスカットを、時期外れだが主治医と当該ナースステーションに差し入れた。
いつまでも何ともまあ純情なことか! それとも 自己満足の押しつけ善意? (笑) 

K病院(国立循環器病研究センター)は来年3月に新病院が吹田市のJR東海道線岸辺駅に完成し、7月に開院する。
患者、医師、看護師、関係者、等々期待に胸膨らませている。
どんな最新鋭の病院になるのだろう。


11月22日
10月3日実施された笛吹市の健康診断結果が郵送されて来た。
昨年問題のあった腎機能(クレアチニン、eGFR)に改善は見られなかった。
自分なりに晩酌量を減らし、塩分摂取量に気を付けたにも拘わらずである。(ガックリ)
心臓病処方薬の利尿剤トリクロルメチアジド1mgの副作用がやっぱり気になるが、これを止めるわけにはいかない。
この薬は尿酸値を増加させる副作用もあり、今回の市の検査でも私の尿酸値は標準値を越えていた。
市から昨年と同様に、「内科医の精査を受けるように」との指示があった。
また友人内科医に相談してみよう。


2019年1月15日
私の腎機能低下問題について、山梨市で医院を開業している友人内科医に先月相談し、血液と尿検査を実施してもらった。
検査結果は笛吹市の健診結果と同様、クレアチニン、eGFR、尿酸値にやはり問題があった。
この友人医師の勧めにより、ついに尿酸値を下げる薬(痛風薬:フェブリク)の処方を了解した。(痛風の気はないが)
3ヵ月程服用して、また血液と尿検査の結果により対応を決めることにした。
彼とは高校で2年間同じクラスであったので気心が知れている。
そのためフランクに親身になって詳細にアドバイスしてくれるので有難い。
水分は多目に摂って、毎日のように入っていたサウナは控えめにして、晩酌のビールは隔日オールフリーにして、・・・(QOL下がるな~)


2月21日
K病院で3ヵ月毎の主治医問診、処方箋発行。
血圧が十分低いことから、今回、降圧剤ブロプレスの服用を朝夕2回から、朝だけとした。(つまり1日当り濃度を半減した)
このブロプレスについては、笛吹市役所から、『ジェネリック医薬品に関するお知らせ』が郵送されて来ていた。
ジェネリックを使うと、患者負担(国保負担も)が軽減される、との案内だった。
私の場合、申し訳ないが、ジェネリックが合わない気がするため、ブロプレスに決めている。

腎機能改善のため尿酸値を下げる薬(フェブリク)の服用開始を主治医に話したところ、「問題無い」との返答だった。

K病院(国立循環器病研究センター)では循環器病関連の情報誌を定期的に発行していて、来院者は自由に入手できる。
今回も最新号をもらった。

  


5月9日
2年振りにCTスキャンを受けた。
結果について主治医は、「特に悪化している事はない」とのこと。
気になっていた大動脈弓部径の拡大はない、ということだろうから先ずは安心した。
血液検査の結果も、「特に悪化はない」、ので良かった。

CTスキャンや心エコーを受けると、診療費は高くなり自己負担も増加する。
確定申告の医療費控除においては、旅費も医療費としてカウントできるので、私の場合医療費は毎年高額となる。
所得金額の5%を超える医療費は控除できるので、私はここ数年その恩恵を受けている。
マア、所得が低いのだから受けやすい。(笑)

K病院は7月JR岸辺駅に隣接する新病院へ引越しする。
何十回も通った北千里の現病院に来ることはもうない。








[現 国立循環器病研究センター]



7月6日
横浜で開催された『第20回(元)心臓病仲間の集まり』に参加した。
今回は幹事さんが実施した心臓病アンケートの結果報告や、メンバーの1人が作成した心臓病漫画の上映もあり、いつもにも増して参考になった。
多くのメンバーが私よりシビアな手術歴を持っていて、それにどう対応してきたか・・・、同じ心臓病の患者として敬服に値する。

今回、国立循環器病研究センター(国循=K病院)の患者さんがいた。
地域柄この会では珍しく、今回が4回目の出席の私にとって会うのは二人目だ。
彼女は、「新しい国循の見学会に出席した、充実した施設の巨大病院だった」と言っていた。
同胞意識(?)からか何となく心強かった。(^.^)


港が見える丘公園 

アンケート結果報告 

心臓病漫画 

出席者の皆さん 



8月8日
移転して新しくなった国立循環器病研究センター(=K病院:吹田市、7/1開業)で3ヵ月毎の主治医問診&処方箋発行を受けた。
心拍数が低位安定していることから、メインテートは0.625mgに半減された。
前回の血液検査で聞き洩らしたBNPは75、クレアチニンは1.14だった。(問題無いレベルだろう)


JR京都線岸辺駅にコンコースで隣接していて、アクセスが良い。













岸辺駅を通過する古い電気機関車と撮り鉄 

隣にはビエラ岸辺健都(右)と吹田市民病院 

混雑する受付(& 230cm位の男性) 

血圧は以前通り自分で測る 



11月7日
K病院で血液検査、心エコー検査、主治医問診、処方箋発行。
主治医:「AR(大動脈弁逆流)レベルⅠ~Ⅱ」との判定なので、前回のⅡから改善したのかと思ったら、「その日の心臓の調子でエコーも少しは変わるので改善とは言わないです」、とのこと。
BNPは64だった。
クレアチニン、eGFRの腎機能値は基準範囲から少し外れていた。
山梨の友人内科医から処方され飲んでいた腎臓薬(フェブリク→アロプリノール:尿酸値を下げる)は、7月の検査で標準値に戻ったので、残薬を飲み終えた10月上旬には止めていた。
私はビタミン剤は別にして大の薬嫌いだが、やっぱりあの腎臓薬は私には必須なのかな。

入院時大変お世話になった血管外科病棟のナースステーションは、当然新病院の同科の病棟に移動した。
今年も私が育てた葡萄を差し入れようと思ったが、切りがイイので止めた。(なんやそれ)
でも感謝の気持ちは”永久に不滅です”。


11月17日
10月5日に実施した笛吹市の健康診断の結果が過日送られて来た。
腎機能を見るクレアチニンとeGFRがまたしても基準値を外れ、「精密検査されたし」とのこと。
尿酸値はその時は服用していたアロプリノールの効果もあって基準値内だったが、クレアチニンやeGFRの値を改善するまでにはなっていない。
心臓処方薬の利尿剤トリクロルメチアジドの副作用だろうから、どうしようもないと思われる。
精密検査しても、同じことの繰り返しだろう。今回、精密検査はパスだな。
来年の健診で尿酸値がまた外れたらアロプリノールを処方してもらおう。


11月19日
山梨大学大学院総合研究部医学域とNPO法人ディペックス・ジャパンとのプロジェクト『健康と病いの語り』のインタビューを受けた。
このプロジェクトは患者の語りをデータベース化して、WEB上公開し、同病患者やその家族、更には医療従事者、学生、市民に情報を提供するというもの。
私の場合は、『心不全の語り』ということで、数十人予定される内の1人となる。
「なんで私が?」と思ったが、私は「病気の経験が役立てば幸い」なので、プロジェクトに喜んで協力することになった。
私は常々「医療従事者さえ病気を体験しているわけではないので、病気の体験は患者にしか分からない」と思っていて、この闘病記にも以前記した。この思いはプロジェクトのスローガン「そこには患者にしか語れない言葉がある」と全く合致する。

インタビューは拙宅で行われ、心不全を起こす大動脈弁閉鎖不全症の診断から手術、現在の心境に至るまで3時間以上に及んだ。
このインタビューがプロジェクトチームでレビューされ、問題がなければ動画も含めた詳細が、将来 同NPOホームページに公開されるという。
国の予算も使って行われるこのプロジェクトの患者の語りにピックアップされることは光栄である。
慣れないことで緊張したが、インタビュアーの慣れた進行で何とかこなせた。(*_*)

プロジェクトは「現在、心不全を語る患者さんを募集中」、とのこと。
下記ホームページに詳細がある。


インタビュー後の寛いだ様子

中: 山梨大学大学院教授
右: NPO理事



DIPEx (Database of Individual Patient Experiences)
Japan








2020年2月6日
K病院で主治医問診&処方箋発行
体重が少し増えている(1~2kg)とのやりとりがあって、主治医から「利尿剤の濃度を倍にしましょう」との提案があった。
利尿剤の副作用にも起因すると思われる腎機能低下問題があるので、私は「体重低下に努めます」と宣言して、「次回まで様子を見る」ということにしてもらった。
ストイックにしているつもりでも、体重はついつい増えてしまう。たった1~2kgの事でもおろそかにできない。
山梨の友人内科医から、「クレアチニンと尿酸値低下のため、水分をよく摂るように」と言われていることを話すと、主治医は「心臓のためには意識して水分を余計に摂る必要はない」と逆のことを言われた。「心機能が低下すると腎機能も低下してしまうのだから、心機能を維持することが先ず肝心」と言われた。そういえば2年前にも同じことを言われたっけな。
毎日水分補給として摂っている麦茶1.2Lは今後1Lにしよう。

精算時、マスクを掛けた美人が私に声をかけてきた、「あのー、関口さんではないですか??」
私はてっきり処方箋を貰い忘れてクラークさんが届けにきてくれたのかと思ったが、「私です、〇〇です」と言われて驚いた。
昨年7月(元)心臓病仲間の集まりでお会いした、〇〇さんだった。同じK病院の患者さんで、昨秋4回目の心臓手術を受けられた女性だ。
仲間の掲示板や、メールでのやりとりをしたことがある闘病の同士だ。まさかまさかここでお会いするとは!
彼女は手術後未だ浅く病院でのチェック頻度が高いし、外来は木曜日なので、こういう偶然も起こり得るんだ。
「世話になった看護師さんがいないかキョロキョロしていた」のだという。
ご主人も付き添いで来ておられたので、3人で昼食を共にして、病気の近況や情報交換をした。
予後順調なようで、「完全に職場復帰した」と言っていた。
世の中は意外と広くない、思いがけない感激の再会だった。(*^_^*)





[国立循環器病研究センター]






帰り道、いつものように大阪ステーションシネマで映画を観た。
『キャッツ』、昔、ブロードウェイで2回も観たが、ストーリーは易しいから分かるものの、ミュージカル歌詞が殆んど分からなかった。
映画は字幕があるから分かるだろうと思ったが、やっぱりよく分からない。吹き替え版を観ればよかったナ。
ただ、舞台はNYではなくロンドンだというのは初めて分かった。(>_<)
劇場『キャッツ』はその客席から猫が出てくるスタートと、エンディングで歌われるあの名曲メモリーの迫力がヤッパリ映画よりずっとよかったような気がする。
そして映画『Cats』はアメリカでの評価が散々だったようだ。でも、私は十分楽しめたし(歌詞は分からなかったが)、CGがうまく生きていていい作品だと思った。
今度は劇団四季の『キャッツ』を観てみよう。

Cats "Memory" (YouTube)

Movie Cats "Memory" (YouTube)





大阪ステーションシティーで枝垂れ紅梅が満開







5月14日
K病院で定期検診(血液検査、CTスキャン、問診、処方箋発行)。
BNPは47(前回64)と改善。
弓部大動脈径は43mm、3年前値からは1mmだけ拡大。
主治医:「心音も強く特に問題無し、次回8月は時節柄電話診療にして処方箋を発行しましょう、その次11月は心エコーをします」、とのこと。
コロナ対策で再来外来はリモート診療が導入されているらしい。
私の最大関心事である弓部大動脈径は一応安定しているので良かった。
降圧剤と過激な運動は避けていることが好影響しているのだろう。


コロナの影響で甲府⇔大阪の高速バスは運休中なので今回はJRで移動した。
私の場合は不要不急の県外移動ではない。
← 特急あずさ1号の2号車乗客は私1人だった。
同様に特急しなの、新幹線のぞみの乗客は数える程しかいなかった。













あずさ車窓から黄砂に霞む南アルプス北部

高速車窓から写真を撮ると直ぐ側の電柱が斜めに写る。
これはシャッターが上から下に切れるタイムラグのためらしい。今度機会があったらカメラを逆さにして撮ってみよう。フィルムカメラではこの現象は無いのか?






8月13日
本日はK病院で3ヵ月毎の外来予約日だったが、体調の悪化はないので、コロナ対応のため電話にて処方箋を発行してもらうことにした。
主治医に電話問診してもらったわけではないが、時節柄、処方箋発行は電話依頼が多いようだ。
K病院から当方指定の薬局にFaxにより処方箋が送られる。
処方箋料は11月の次回予約診療日に精算される。
「電話対応は診療予約日前に行うことはできない」ということだったので、本日の指定時間内に電話して対応してもらった。
私としては本宅がある関西へ行くことは全く厭わないが、マア、旅費はセーブできた。


11月12日
K病院で心エコー検査と主治医診療。
心エコーで「大動脈弁閉鎖不全レベルⅡ」との診断なので前回からの悪化はなかった。
主治医から「一生飲むのです」といわれている処方薬3種類の効果によるところが大きいものと思われる。
この3薬は身体に馴染んできている気がするが、副作用もある(感じる)。

メインテート: 降圧剤(拍動を減らす)、 私の場合の副作用;尿酸上昇、クレアチニン上昇
ブロプレス: 降圧剤、 私の場合の副作用;クレアチニン上昇、光線過敏、手の震え
トリクロルメチアジド: 利尿剤、 私の場合の副作用;尿酸上昇、光線過敏、視力低下

毎年の健康診断で尿酸、クレアチニン、eGFRの値が標準範囲を越えるようになってしまった。
また、以前に増して日焼けし易いし、視力低下(*)が激しい。
更に、本態性振戦(手の震え(*))の悪化が著しい。
加齢によるQOLの低下は勿論だが、*印によるQOL低下は年々深刻になりつつある。



帰路
大阪ステーションシティーにある本屋
喫茶コーナーがありそこで本が試読できる。








同 天空の農園には珍しいダリアが咲いていた。









2021年2月7日
2月4日はK病院で私の診療日だったが、大阪府は新型コロナ緊急事態宣言下であるため、病院に電話して処方箋の発行だけをしてもらった。お陰様で心臓の状態は問題ない。

過日、(元)心臓病仲間のNさんのブログに紹介があった本 『100年を生きる 心臓との付き合い方』(天野篤)をAmazonで購入して読んでみた。著者は天皇陛下執刀医として有名な心臓血管外科医天野先生。
心臓病に関心のある人もない人も興味深く読める本だと思う。基礎的なことから最先端のことまでが先生の体験を交えながら分かり易く書かれている。
驚いたことに先生は順天堂大学病院院長をやりながら、年間350例もの心臓血管外科手術を今も執刀するという。私の(元)心臓病オフ会仲間にも天野先生に難手術を執刀してもらったという人がいる。
先生は、「年間250例以上の手術をこなす心臓血管外科医が日本には15人程いる」、とも述べている。私の主治医M先生、I先生も入っていることだろう。外科手術の場合、経験数が多い程、手技が向上していくであろうことは容易に想像できる。
先生は、「自分の場合0.2%(500回に1回)位は患者さんが死亡することがある」、と言っている。TVドラマ『ドクターX』の大門未知子のように「私、失敗しないので」は有り得ない。先生は『医龍』の監修もしたのだとか。
また、「緊急手術が何時あるか分からないので好きな酒も最近止めた」、とのこと。ストレスの高い仕事だろうに・・・、只々頭が下がる。使命感が高く、かつ相当な収入がないとそこまでできないことだろう。





2月18日
<本態性振戦>
昨年11/12の当HPの当サブページ記事でも触れている本態性振戦という手の震えの病気について、私の症状の悪化が酷いので、大阪府茨木市の彩都友紘会病院(以下S病院)で初めて診てもらった。この病気に関して数年来診てもらっている山梨県の笛吹脳神経外科内科医院(以下F医院)から紹介状を書いてもらい受診した。本態性振戦に関しても私はインターネットで調べ尽くし、S病院に最先端の手術機器が備わっていること、及び川西市の本宅に近いことから選んだもの。S病院は隣の吹田市にある大阪大学医学部病院と連携して、患者の治療に当たっている。

私は10年程前から手の震えが始まり、徐々に悪化し、今では普通には字も書けないし、箸では食事もできない程にまでなってしまった。症状がパーキンソン病に似ているが、違う病気だ。本態性とは原因が定まらない病気のことであり、振戦(手の震え)は老人で発病する人が殆んどらしい。私みたいにストレスに弱い神経質な人がなり易く、コーヒー等カフェインの多摂取をしたことも要因のように思える。私はコーヒーの国アメリカと発祥の地アラブ中東でコーヒー、紅茶やコーラを多飲していた。今ではカフェイン飲料はお茶も含め断っているが、時々カフェオレが無性に飲みたくなり手が震えてくる。カフェイン中毒なのだろうか?笑

唯一の治療薬であるアロチノロールをF医院でもらって必要な時だけ服用していたが、それも効かなくなってきた。従来的な解決方法としては、頭蓋骨に穴を開け針金電極による電気刺激で脳の興奮細胞を麻痺させる外科手術(RFとDBS)がある。最新の方法としては、MRIガイド下の集束超音波(FUS)で興奮細胞を麻痺させる方法もある。こちらは頭蓋骨に穴を開けるような外科的対応はない低侵襲な方法で、健康保険の適用も近年認められた。S病院は全国でも10数台しかないMRIガイド下FUS手術機器を有している。

さて本日は、先生に私の症状について入念にチェックしてもらい、FUSの副作用や再発の可能性についての詳細や施術実績の説明を受けた。また、FUS手術を前提として、CTで頭蓋骨の画像を撮ってもらった。頭蓋骨が厚い人は超音波が通り難く、FUSに適さないらしい。石頭の私には心配だ。笑   1ヵ月後再訪して、手術が可能かどうか話し合うこととした。

そして、何を隠そう私は昨年、人生最大趣味の株式投資でコロナ禍の大暴落の中、逆張りをして買い進み、その後の急回復で大儲けをした。このため、高額医療費制度の私の恩恵は昨年度の確定申告が決まる7月以降は大幅に少なくなるものと個人的に予想している。従って、高額な医療費発生は6月中に済ませておきたいのだ。このことを正直に先生に話したら笑われた。FUS希望者は多いらしい。



千里丘陵にあるS病院










大阪都市モノレール彩都線
万博記念公園駅まで4駅(7km)をウォーキングで帰る。










阪大吹田キャンパスにある阪大病院











エキスポシティショッピングモール











万博記念公園駅









3月18日
本態性振戦に関してS病院を2回目受診した。
前回FUS(集束超音波手術)の可否について頭部CTスキャンをしてもらった結果をO先生と協議したもの。
私の頭蓋骨は、「超音波を通し難くFUSには適さない」、ということだった。
ガーン! やっぱりなー、俺は石頭過ぎる、骨が丈夫だからなー。
先生からRF(高周波凝固術)を勧められたが、局所麻酔で頭蓋骨に穴を開けられ、脳に針金を入れられるのは、怖過ぎる。
思い返せば、あの心臓の大外科手術は思いの外抵抗感無く受け入れたが、脳外科手術は別だ。そもそも心臓弁膜症は死の匂いがするが、振戦症はしない。QOLの問題だけだ。

かと言って、手の震えは悪化する一方なので、「FUSでは症状改善の余地は少ないと思われるが、それを承知ならやってみましょう」(O先生)、ということになった。
FUSで改善されなかったら、本態性振戦と死ぬまで付き合うことになる。今迄10年程付き合ってきたのだし、マア後10年、長くても20年(90才)の我慢だ。笑

「FUSのスケジュールが詰まっているので、実施は7月頃になります」、とのこと。こちらも思惑ハズレ。
5月に再訪し、更なる精密検査をして、手術日を決めることにした。入院は余裕を持たせて1週間位。
インフォームドコンセントもあるだろうが、キャンセルは何時でもできる。次回はキャンセリングポリシーも確認しておこう。
7月は葡萄作業も少ないので、その観点では好都合だ。

4月27日
過日(元)心臓病仲間のUさんから薦められた心臓血管外科医天野篤著『天職』を読み終えた。Uさんは、誰も引き受けなかった自身の心臓難手術を天野先生に執刀してもらった。
天野先生は2012年に天皇(現上皇)の冠動脈バイパス手術をオフポンプ(体外人工心肺装置を使わない手術技法)で行ったこの分野の著名な先生だ。私にとって先生の本は2冊目で、心臓関連本としては3冊目の本である。私のような心臓手術経験者にとっては心臓病の医師側からの情報満載の上、心臓外科医の心理の一端も分かるためになる本だった。

先生は、父上が心臓病を患ったことから「父を助けたい」との確固たる動機から心臓血管外科医を志し、3浪の末、日大医学部に進み心臓血管外科医になった。有名国立大医学部出身のエリート医師達には強烈な対抗心を燃やし、圧倒的な手術数を積み、アイデアを駆使して、この分野の第一人者となった。

本の中には、「重症患者を助けたい」思いから、失敗も恐れず挑戦し、患者が亡くなってしまう話もいくつか出て来る。その一つに、心臓肉腫の患者を手術助手として手伝っていたケースで、患者が術後心タンポナーデでを起こして亡くなった例が書かれている。私もデイビッド手術(大動脈弁温存大動脈基部置換術)後、心タンポナーデを起こしていたので、他人事ではない話だった。
また、「超低体温循環停止」による大動脈瘤手術は、体温を15~20℃に下げて人工心肺装置による血液循環さえ20分止めて行う手術技法が書かれている。この技法の確立までには(医療機関として)試行錯誤が重ねられ、患者が亡くなるということが何度かあった、という。これも正に私が受けた技法であり、7年前の私の時は、「手術及び合併症による生命への危険度7%」、との事前説明を受けた。私は正直、「危険度は低い」と思ったが、それまでには尊い経験があったのだ。

心臓病臨床フィールドで功成り名遂げた先生は、手術のチームワークと奥様の協力あってこそ、と言っているが、勿論その通りだろう。一般ピープルの私としては、日本一の心臓血管外科手術数を誇り、65才の今でもチームで難手術を突破していく先生の収入は果たして如何程のものか、聞いてみたい気がするが。





5月11日
<新型コロナワクチン接種 1>
4/16 笛吹市から65才以上対象のワクチン接種券が届く。「4/21以降電話orネットで予約開始」とのこと。
4/21 電話、ネットとも混雑で繋がらず。2時間かかってやっとネットが繋がり、5/11予約できた。
5/11 予約通り近所の病院で1回目接種を受けた。接種時の痛み無し、副反応無し。
自動的に2回目が6/1に予約された。
私の場合は幸運にもスムーズに行っている。人口の少ない山梨県のアドバンテージか?(苦笑)

しかし、日本のワクチン接種進捗が遅過ぎる。人口の1%が1回目が終った程度とか。OECD先進35カ国中最下位とか。『ワクチン敗戦国』のレッテルが貼られてしまった。そんな状態を嫌気して、NY株は高いのに、今日、東京株は暴落した。(-_-メ)  ”ワクチンが鍵になる”ことは誰でも解かっていたのに政府は一体何をやってきたのだろうか? 第4波が国中に猛威をふるっている。このままではオリンピック開催は危ないだろう。そもそも政権がもつのか? オリンピックが無くなったら、俺はワクチンパスポートを持って海外旅行にでも行こうっと。((+_+))



開始30分前に行ったら1番乗りだった。
(気合入れ過ぎ)









接種後の受付

ここで15分間アレルギー等の副反応が出ないか様子を見る。













病院のバラ園

多くの種類が香しく咲いていた。
でもやっぱりダマスクローズは無かった。







5月13日
K病院でCTスキャンと主治医問診。
CTスキャンは「問題無し」とのことなので、弓部大動脈径も拡大が無かったのだろう。ホッ

私の本態性振戦のFUS手術に関して、3月に茨木のS病院から心臓主治医のI先生に手術の可否について、問合せが送られた。I先生は「問題無しと回答した」ことを教えてくれた。
明日はS病院でFUS手術のための最終(?)検診がある。
本態性振戦症の唯一の有効処方薬アロチノロールはαβ遮断薬という作用機序に属する薬で、私の心臓処方薬の一つ降圧剤メインテートはβ遮断薬だ。両薬の私の使用感想から言うと、メインテートを常用(毎日)している関係で、月1、2回程度しか使用しないアロチノロールの効果が減殺されている気がしている。この事をI先生に話すと、「それではメインテートをアーチストに替えて様子を見てみましょう」、ということになった。メインテートもアーチストも高評価の降圧剤であるが、アーチストの方が作用が強いらしい。私の場合、メインテートでも降圧作用がやや強過ぎる気がしているので、今回の薬の交代でどんな感じになるか、興味深い。
ところが、ネットでよく調べて見ると、アーチストはアロチノロールと同類のαβ遮断薬であった。私(素人)の真意は、アロチノロールと同類に近い降圧剤は使いたくないということだが、I先生に伝わっていない。余計に近くなってしまった。しかし、これでいいのかな??

また、私の心臓処方薬のもう一つの降圧剤ブロプレスには副反応として、「手の震え」が書いてある。これも大いに気になるところだが、マアいいや、後々の課題にしておこう。私は神経質過ぎるのかな?血液型O型なのに。笑

5月14日
本態性振戦症を診てもらっているS病院でFUS手術に向けた検査(血液、胸部レントゲン、心エコー、頭部MRI)を受けた。
心エコーはK病院で年1回受けているが、ここでは受けている本人(私)が検査中の心臓音を聞くことができた。ドップラー効果から来る不思議な異音で、泥沼に足を踏み入れてもがいている時のような嫌な感じの音(ブキュブキュのような)だった。診断は「大動脈弁逆流レベルはモデレート(Ⅱ)」ということで、K病院の診断と同じだった。
MRIは1時間にも及ぶ長い検査だった。ボリュームの高い強烈で不快な何種類もの機械的異音がして、宇宙を飛び交う電磁波がイメージされるような感じだった。

頭部MRIの結果、先生によるとやっぱり私の頭蓋骨は厚いらしく、「FUSにはあまり適さない」という診断だった。「東洋人にはこういうタイプが少なくない」らしい。俺は北京原人か・・・(笑) でも骨粗鬆症の心配はなかろう。
そしてFUS(集積超音波)よりもRF(電極)を薦められた。「あなたはFUSでは効果が少なく、また直ぐに元に戻ってしまう恐れが高い。効果を上げるためにはFUSを強く当てる必要があり、苦痛で侵襲も高く、副反応もある。一方、RFは確実で元に戻り難い」、とのこと。
一応、7月にFUSの入院・手術日も予定してくれ、家族も含めた説明日(インフォームドコンセント)も予定してくれた。だが、「キャンセルは自由」とのことだった。私は「家族と相談します」とした。
私のFUSへの一縷の望みは遂に消失の憂き目となっている。かといってRFの決断は難しい。
どうするべきかな?

→ 5/21 FUS手術キャンセル

今日は万博記念公園駅付近を散歩したが、折からの大阪でのコロナ緊急事態宣言により、公園もエキスポシティーショッピングモールも閉鎖していた。真夏のような蒸し暑さのゴーストタウンのような雰囲気の中だったが、散歩、ランニング、サイクリングの元気な人達はチラホラいた。


万博記念公園駅










公園入口クローズ










巨大ショッピングモールクローズ










隣のPanasonicスタジアムは?
(ガンバ大阪のホームスタジアム)









花壇にはジャスミンが香り高く咲いていた。








6月1日
<新型コロナワクチン接種 2>
予約通り6月1日、2回目接種を受けた。日本で2回目接種を終えた高齢者は全国で1%位だから私の早さが分かる。私の場合、接種予約が偶々スムーズにできてラッキーだった事に尽きる。
でも国内のコロナ感染は依然として収束には程遠い。首都圏等、緊急事態宣言下でも人流は多く、人々はコロナを深刻に考えなくなったように思う。「感染しても大したことではない」と高をくくっているように思う。そもそも緊急事態とは言っても諸外国のように人流制限に強制力もなければ罰則もない(弱い)日本方式は、誰かが言っていたように、”屁みたいなもの”なのだろう。
一方、ワクチン調達はやっと順調に行き出したようで、政府は「1日100万回接種」を目指している。政府と地方自治体と医療業界が一体となって日本の実力を発揮して欲しいものだ。

→ 2回目接種の翌日、早朝からブドウ園の仕事をしたが、倦怠感があった(副反応)。気を付けるべきと思われる。

8月12日
K病院
での外来診療予約日だったが、処方箋発行が主なので電話で依頼して、東京の友人の薬局へFAXしてもらった。

かつて心臓病診療や振戦症診断の際にCTスキャンを受けた時、「蓄膿症の影がある」、と言われて治療を薦められていた。
1ヵ月程前、笛吹病院耳鼻咽喉科で診てもらい、「抗生物質等を暫く服用し、CTスキャンで効果を確認する」、ということになった。従って現在は心臓病の処方薬3剤と蓄膿症の処方薬2剤を毎日飲んでいる。薬漬けだ。
心臓病(大動脈弁閉鎖不全)が発覚する前、症状が極めて重い咳の出る風邪を1ヵ間も引いていた。病院には行かなかったがインフルエンザだったかもしれない。その重症風邪が心臓に負担をかけ大動脈弁閉鎖不全の急激な悪化に繋がり、また蓄膿症の罹患に繋がったものと推測される。(素人診断)
蓄膿症の自覚症状は殆んどないので、服用中の処方薬が効いているのかいないのか全く自分では分からない。

若い頃はすこぶる健康だったのに俺は今、大動脈弁閉鎖不全症、本態性振戦症、腎機能低下、蓄膿症と病気だらけではないか! 加齢による体力低下も深刻だし(笑)

11月11日
K病院で年1回の心エコー検査と主治医面談。
心エコー検査に1時間半もかかった。普通30分位らしいが、私の場合いつも1時間近くかかり、今回は更に30分も長かったので寝落ちしそうだった。最後に検査技師が1人加わって最終確認をやっていた。「フラッタリング」という言葉を多用していたので、私の大動脈弁がビロビロと締まりが悪い状態を言っているのだと思った。検査技師に逆流(閉鎖不全)レベルを訊くと、「Ⅱで、前回1年前と同じです」と明答した。普通、検査技師はそういう質問には、「主治医に訊いて欲しい」と言って回答を避けるが、今回のように明答してくれる検査技師もいる。

検査後の主治医とのアポ時間が大巾にズレた。
主治医Ⅰ先生は開口一番、私の本態性振戦症の「FUS手術はしましたか?」の問いだったので、その顛末を手短に話した。
心エコー検査については当然のことながら同じく「閉鎖不全レベルⅡ」と診断した。私が「フラッタリング」について質問すると、「大動脈弁での逆流血が僧帽弁に当って僧帽弁がフラッタリングしていることで、逆流方向によってはあり得る事」とのこと。「僧帽弁への悪影響はありますか?」と訊くと、「あなたの僧帽弁は健全です」との嬉しい返答。

私の本態性振戦症処方薬(アロチノロール)と心臓病処方薬(降圧剤)で作用機序が同じ(β遮断)ものがあったので、前回主治医に替えてもらったアーチストは以前のメインテートに戻してもらった。専門性の高いα、β遮断という薬理領域について、素人の一患者である私が色々要望を言うのは良くないが、患者にしか分からない薬体験と”気分”というものもある。Ⅰ先生は患者の話は良く聞いてくれる。

2022年2月1日
<新型コロナワクチン接種 3>
2回目接種から丁度8カ月後の今日、3回目接種を受けた。今日現在日本の3回目接種率は3.5%だとか。オミクロン株が大流行している中、前倒し接種は全く進まず、この接種率は先進国中最下位だとか。またかよー!政府は何をやって来たのだろうか?ワクチン調達に本腰を入れて来なかったからなのだろう。ワクチン担当相(堀内詔子:衆山梨)は国民への情報発信も少ないし、大臣能力あるのだろうか?全くガッカリだな。前内閣のように挽回を期待したい。

→ 今回ワクチン副反応なし。



近くの大病院(Y病院)ではオミクロン株大流行のため、発熱外来が繁盛しているみたいだ。














PCR検査も大盛況みたいだ。












5月19日
K病院でCTスキャンと主治医面談。
私の最大関心事である弓部大動脈径は、「43mm」と計測された。術後8年間で6mm、5年前からは1mm拡大したことになる。
「60mmになったら弓部大動脈置換をすることになる」、と主治医から言われたことがある。私は「死ぬまでに置換はありそうですか?」と訊いてみた。「難しい手術だからない事を祈ります」と先生。仮に1mm/y拡大しても60mmにはあと17年かかるので、私は90才直前になり、もう大手術に耐える体力も気力も無くなっているだろう。
デイビッド手術を受けた心臓病患者の10年生存率は世界では60%、日本では90%と言われている。私の場合8年経ってすこぶる元気だ。
先生:「心臓に負担のかかる過度な運動をしなければ弓部大動脈拡大は進みません」。 私の場合、危険な瘤にはなっていないから悲観的になることはないだろう。

7月12日
<新型コロナワクチン接種 4>
昨日、新型コロナワクチン4回目の接種を受けた。
私の場合、4回とも全てファイザー製ワクチン。
昨日は念のため風呂と晩酌は控えたが、今、副反応は接種部位に少しの痛みがある以外何もない。
昨今、新型コロナオミクロンの派生株出現により感染者数がまた急拡大していて、「第7波」と言われ出した。しかし重症者数は低位に押さえられ、行政による行動制限等はなされないようだ。だんだんとインフルエンザ的な扱いになって行くのだろうか?

私の同期の友人に、「新型コロナワクチンの製造には遺伝子技術が使われていて将来的副反応は全く不明なので、俺はワクチンは絶対受けない」と主張し、それらの情報を私達にわざわざメールしてくれる反ワクチンの猛者がいる。各人の信条・主張は自由であり、ワクチン接種も自由意思による決定であるからその選択と主張は全く是である。しかし今迄、新型コロナに感染する方が健康リスクははるかに高かったと思う。そもそも我々の年代の将来リスクはあまり気にしなくてイイ。(笑)

新型コロナの今後はインフルエンザ並みになったり集団免疫出現を期待したい。そうすると中国のゼロコロナ政策の世界との整合性が大いに気になるところではある。また、強毒かつ感染力の強い新株の出現も恐ろしい可能性として否定できない事であろう。

10月7日


(元)心臓病仲間の横浜オフ会でお会いし、同じK病院(国立循環器病研究センター)で心臓手術を受け、同病院外来で偶然にも2回お会いしたSさんとご主人が三重からブドウ狩りに来訪した。
生憎の冷たい雨の日だったが、ブドウ狩りをして、ホウトウを食べ、我が家で懇親を深めた。
Sさんは心臓手術歴4回の闘病の同士で、ゆっくり話せて極めて有意義な1日であった。














10月27日
K病院で3ヵ月毎の定期診療。
しかし、主治医のⅠ先生が緊急心臓手術執刀ということで、急遽代役の先生と面談した。代役の先生としても私の電子カルテを読んでおく時間も無かっただろうから、「体調はどうですか?」、「お陰様でいいです」、ということで、3ヵ月分の(いつもの)処方箋を発行してもらってそれでお終い。(約3分)
処方箋は病院の無料FAXサービスで東京の友人の薬局へ送ってもらった。
折角の関西だが、月末に山梨で用事があるので、川西市の本宅と宝塚の息子宅に1泊づつして3人の孫とチョット話してUターン。
来月は7月に他界した娘の遺品の内、山梨の別宅に置いておきたい物を引取りに車で来ようかな・・・

11月8日
<新型コロナワクチン接種 5>
昨日新型コロナワクチン5回目の接種を受けた。
オミクロン株対応2価(BA.1/BA.4-5)ワクチンだった。私の場合5回とも全てがファイザー社製。
接種後、柿の皮むき50個等の労働をやり、風呂にも入って晩酌もしたが、副反応は特に無い。
TVニュースによると、昨日現在日本の5回目接種率は6.9%とのこと。
新型コロナの第7波が下火になり、イベント開催等の日常生活も平常に戻りつつあるが、最近感染者がまた増加しだして、第8波発生が囁かれている。アーア。  
日本のワクチン2回接収率は8割以上に進み、感染率も20%近くには行っているのに、未だ集団免疫は形成されないのだろうか? 集団免疫の観点からは、ゼロコロナ政策を続けている中国ではいつまでも形成されないのではないのか? 重症化率が低くなって来たからインフルエンザ並みの対応になるのだろうか?
今のところ接種料は国負担だが、一部個人負担の検討もされているようだ。

2023年1月19日
昨年9月末受けた市の健康診断で、尿酸値が9.4と急増(1年で+2.0)し、A~Eの内のD判定(要精査)となってしまった。
友人の医院での11月末の再検査でも9.3で、尿酸値を下げる処方薬(ペルサンチン)を飲むことになった。
それから約50日後の値は8.5と基準値(7.0以下)を依然としてかなり上回っている。
従ってあと60日間その処方薬を飲み続けることになった。
17才の時、徹夜の富士山登山で尿道結石になったことがあるが、激痛の後石が出た感じで治り、53才の頃、尿路結石になったが治療薬で直ぐ治った。痛風の気は今のところない。尿酸値が基準を大きく越えるのは今回が初めてだ。
尿酸値上昇は心臓処方薬の利尿剤(トリクロルメチアジド)の副作用も一因と思われるが、大好きなビールをプリン体ゼロに替えてみよう。

5月16日
<新型コロナワクチン接種6>
6回目となる、ファイザー社製オミクロン株BA.1の接種を受けた。
接種部の若干の痛み以外副反応はない。
コロナ流行時以降、インフルエンザワクチンも接種しているので、ここ数年は風邪もひいていない。
中国も北朝鮮もコロナ(オミクロン株)大流行があったので集団免疫が形成されたようで、状況は問題がなくなったような感じ。
日本人は公共の場では自主的にマスクをする人が依然として多い。

5月18日
K病院で心エコーとCTスキャンを受けた。
私の最大の関心事、大動脈弁閉鎖不全レベル(Ⅱ)、弓部大動脈径とも前回と変わらず、問題はなかった。
しかし、モニターを見ると、レベルⅡの私の逆流は真っ赤に現れ、常人の大動脈弁とは大いに異なる。「心拡大がまた始まれば、弁置換が必要になる」、と主治医。ガーン。「その頃にはTAVIによるカテーテル手術が大動脈弁閉鎖不全症にも認可されるだろう」。カテーテル手術は低侵襲とは言っても、「2週間の入院は必要」、とのこと。・・・俺の寿命とデイビッド手術で温存された大動脈弁の頑張りとの競争だな。
尿酸値の急上昇について、主治医と協議したところ、利尿剤(トリクロルメチアジド)の服用頻度を半分にして、様子を見ることにした。

コロナ5類移行後初めての大阪だが、K病院ではマスクは必須、電車や雑踏では10%位がノーマスクで私もノーマスク。

9月23日
<新型コロナワクチン接種7>
一昨日7回目接種を受けた。
私の場合高齢者(73才)であり、重要疾患(心臓病)を持つためか接種通知が極めて早く来る。
反ワクチン派の同い年の友人からは、依然としてコロナワクチン有害説の情報がメールで来て、ワクチン積極派の私を揶揄する。
ワクチンを打とうが打つまいが個人の自由だろうに・・・   プンプン


11月9日
K病院で血液検査、主治医面談、処方箋発行。
久し振りのBNP測定で140。100を切ることが殆んどだったのに悪化した。
腎機能を見るクレアチニン、eGFRの値はヤッパリ良くない。山梨の友人内科医からは、腎機能改善の処方薬アロプリノールとベルサンチンを「一生飲め」と言われている。心臓処方薬(メインテート、ブロプレス、トリクロルメチアジド)と合わせて5剤を一生飲むことになってしまった。クスリ嫌い人間なのにクスリ浸けの毎日だ。・・・トホホ。


折りしも阪神タイガースが38年振りの日本一で関西は沸いている。
トラキチだった愛娘が生きていたら”大騒ぎ”だろうに・・・









2024年2月16日
2/14夜8時頃、急に胸(心臓)が締め付けられる痛みがし出した。10年前、心臓手術前に発生した胸痛と同じだ。直ぐ治まると思ったが10分しても治まらず貧血も起こってきた。心不全症状と自己判断し、死ぬかもしれない、と思ったので、救急車を呼んだ。人生初めての救急車だ。原因としては、痔疾による排便時の下血が冬季続くのでそれと、大動脈弁閉鎖不全との相互作用だろうと思われた。
救急隊員に症状と病歴を説明した。車内で心電図を撮る時には胸痛は可成り治まってきたが、「不整脈が酷い」と言われた。近所の病院の救急窓口からは「満杯」とのことで断られ、甲府の県立中央病院に受け入れられた。病院では血液検査、造影剤投与によるCTスキャン等が行われた。「ヘモグロビン値が下限の半分」と言われ、点滴と輸血(280ml)が急遽行われた。造影剤投与と輸血にはインフォームドコンセントが取られた。本態性振戦症のため字が書けない私は救急医の先生にサインの代筆をお願いした。
造影剤投与後に胸痛がまたし出したが、点滴と輸血の効果が出だすとそれも治まった。深夜2時頃状態が良くなったので、救急医により2/15の同院での循環器内科と大腸外科のアポを取り、タクシーで帰宅した。

2/15、血液検査、心電図、心エコーに基付き循環器内科の先生と面談した。「血液検査値が良くない、輸血後も特にヘモグロビン、血清鉄が悪く、BNPは725。心エコーによる大動脈弁逆流レベルはⅢないしⅣ」とのこと。 ガーン!!私は絶句した。大動脈弁置換レベルではないか!
先生は、「下血による血液の濃度低下と大動脈弁逆流も重なり冠動脈虚血による狭心症発作」と診断した。
私は、国循で10年前にデイビッド手術を受け、年4回受診していること、来週2/22には定期検査(おそらく心エコー)を受けることを話した。先生(若い女医)は「心臓は国循の主治医に任せますが、先ず下血を治すことですね」と優しく言った。

次の大腸外科では、私は先生に、「排便時の脱肛・下血とそれによる心臓持病への悪影響」を説明した。先生は触診等により、「脱肛も切れ痔も分からない」と言った。 排便時のことであり、患者本人にしか分かりずらい。(*_*;
「痔以外の原因もあるかも知れない」(先生)ので、2/19大腸内視鏡検査、とその結果に基づく2/27先生との面談、のアポを取った。大腸内視鏡検査は腸を空っぽにする必要から、被験者の事前準備が大変だ。
先生から切れ痔用のクリームが処方された。排便に時間を取っている几帳面?な私は、今後は下血を避けるため短時に済ますことを心に誓った。私の命に影響する程のことになろうとは・・・
(笑)

2月22日
K病院(国循)で定期
診療。
検査は心エコーはなく血液検査だけだった。主治医Ⅰ先生は急用でT先生の代診だった。
私は2/14,15の出来事を説明し、「出来るだけ早く心エコー検査を受けたい」とお願いした。
先生は、「今、心エコーをしても甲府の病院と結果は同じになる。下血で血液濃度が低下すれば心臓の自律作用から血液吐出量が多くなり、大動脈弁逆流がある患者はその程度が悪化する」 と説明した。
血液検査値は依然として良くないが、ヘモグロビン値(下限13.5、上限18.0)は9.3となり2/15より1.4改善され、BPNは150と大巾に改善された。
三カ月後の次回診療時に心エコー検査を予約して、いつもの処方箋をもらった。
ペシミストな私は心折れて来院したが、先生の話に気が大きく晴れた。むしろ多血症気味の私は造血能力は高いのだ、と先生と合意した。(笑)  幸い2/15以降下血は無い。
結果を妻に電話して、いつものように大阪ステーションシネマで映画を観て帰った。現金にも心臓の違和感も大分和らいできた。


2月27日
甲府の県立中央病院で大腸外科の先生と2/19の大腸内視鏡検査の結果について面談した。
先生「大腸は極めてキレイで癌もポリープも無いが、切れ痔があるので排便時気を付けること」、とアドバイスがあった。私の予想通りであり、そうしようと思う。
後は5月K病院での心エコー検査の結果がどうなるかだな。


4月4日
半月程前、貧血感と心臓の違和感が消えないので、K病院へ電話して4/4の主治医Ⅰ先生の検診予約を取った。定期検診は3ヵ月に1回で次は5月だが、私は待てないので特別に要請して実現したもの。
私は、2/14の心臓発作の件と、2/15山梨県立中央病院の心エコー検査にて「大動脈弁閉鎖不全レベルⅢないしⅣ」と言われたこと、そして現状の自覚症状を説明した。先生は今日の血液検査値から、「ヘモグロビンが9.9と依然として低いから不調の原因はそこにある」として、鉄剤の処方箋を発行した。
私としては心エコー検査を直ぐにでもやってもらいたいのだが、満杯で直ぐにはできないらしい。この循環器病専門の国立の大病院で「心エコーが予約で満杯」とは大いにガッカリした。(緊急の場合は直ぐにできるらしい)
マアしょうがない5月まで待とう。


病院横遊歩道の桜は満開直前の感じだった。
















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